しかしながらたまに団体列車などで入線することがあり、一度はその走行風景を撮りたいと思っていましたが、ようやくその機会が訪れました。
時は2005年の1月、廃止を三か月後に控えた時です。自分にとっては最後のチャンスでもあったわけです。
05.1.30 忠節 |
まずは忠節にゆきます。
パンタを上げて出庫準備中でした。
少年時代から大の電車好きです。 物心ついた時には踏切の横に立って電車を見ていました。 以降、全国各地に吊り掛け電車を追いかけて歩いた記録を中心に、模型やストラクチャー探訪記などを気まぐれに載せてゆきたいと思います。
6 件のコメント:
岐阜の600V線も、消えてから20年近く経つんですね~県警の軌道系いじめと名鉄の経営方針の変化が今でも恨めしい~
Cedarさん
廃止になったのはそんな昔じゃない気がするのに、結構時間が経ってしまっていますね。
県があのような仕打ちをしなければ今もきっと、と思ってしまいますよね。
2005年はまだこんなシーンが撮影できたんですね。
今なら大変な騒ぎになってるような(笑)。
画像に同業者は写っていませんが
撮り鉄は集まってなかったのでしょうか?
にぶろくさん
そうなんですよね。
当たり前のものだったのが今となっては信じられませんね。
同業者は結構多くいました。
ビデオにはたくさん写っていますよ~。
美濃町線には、まだ美濃まで通っていた40年ほど前と、関までに短縮されていた22年前の2度、乗ったことがありましたが、いずれも新岐阜から田神線経由で、徹明町側の区間は結局乗れずじまいでした。独特の顔を持つ510型は、昔は美濃町線のほうが主戦場だったことは、私の少年時代、鉄道F誌などで見たことがあり、廃線を前にしての、言わば「里帰り運行」だったのでしょうか。
それにしても、美濃町線を初め岐阜地区の600V各線が、行政の意地悪の餌食になってしまったのは本当にもったいないことでした。以前に書き込んでいた、似たような沿線風景を持つ「土電」の健在ぶりと比べると、まさに雲泥の差でした。関市は、「関の孫六」で名高い刀剣作りを初め「刃物の町」として名高く、かの「鬼滅の刃」の主人公を思わせるような名前の刀工も居り、主題歌を歌っている歌姫もこの地方の出身だとか。今残っていれば、「鬼滅電車」を走らせて「疫病退散祈願」といった一大イベントも、と思うと、本当に惜しかった…。
伊豆之国 さん
非協力的な行政に押しつぶされたと名鉄関係者が言っていました。
残念なことです。
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