2020年5月16日土曜日

名鉄三河線 山線区間に乗る。

前回は1983年の名鉄三河線・海線乗車の記録の記事を書きました。その後名鉄の末端区間については廃止の動きが顕著になり、三河線の海線・山線双方の末端区間も2004年の春に廃止になるということで、廃止の前年暮れに20年ぶりに乗りに行きました。
まずは、今回の乗車以前に出かけたときの画像から。

90.2.18 猿投

山線の末端区間は車では二度行っていますが、乗車したことはありませんでした。
こちらは猿投駅で休むキハ14です。


90.2.18 猿投

猿投までの電化区間はHL車の天国でした。

90.2.18 猿投

駅のはずれには歴史のありそうな変電所が現役でした。
そしてそのわきには休憩中のク2757ほかの電車がいました。

90.2.18 西中金

西中金駅も見てはおりますが、列車は偶々無かったのか、車輌に興味が無かったからなのか、撮っておりません。

そのような理由から今回はちゃんと乗車して再履修ということになります。

03.12.22 猿投

猿投から気動車に乗り換えです。
それより前は撮っていません。
何に乗ったかも記憶なし。
こういうのも、どんなのに乗ったか撮っておくべきと今は反省です。
乗車した車輌は前回みた二軸車のLEカーではなく、キハ34というボギー車でした。
既にこの当時最初に投入された上の写真タイプの二軸車は淘汰されて二代目になっていました。


03.12.22 三河広瀬(以下同じ)

山線末端区間初乗車なのですが、西中金までの全線完乗せず三河広瀬で降りてしまいました。
降りた列車を見送ります。



三河広瀬駅は山の中の鄙びた駅でした。




日陰には前日の雪が残っていました。



西中金まで行かずにここで下車した目的はこの駅舎を見たかったためです。




線路側から。



駅の奥から。
まったく舗装されていないのが良い感じです。



奥には保線詰所が残っていました。



結局西中金まではいかず、次の列車で折り返します。
山線に続いて今度は海線に向かいます。


7 件のコメント:

  1. 三河山線は架線柱撤去されてたんですね。
    同形のLEカーが走っていた八百津支線に乗ったときは、架線柱がほぼ全線残っていて、それがまた物哀しさを倍加させてました。

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  2. 三河線「山線」の区間は、24年ほど前の秋、紅葉の名所「香嵐渓」見物に行ったときに乗ったことがありました。当時の全国版時刻表を見ると「知立~猿投間 約15分毎、猿投~西中金間 40~60分毎」とあるだけで、接続が分からなかったので、「新名古屋」から乗り換えた知立駅で待っていた電車に飛び乗り、終点の猿投で降りると、ここで改札も出られず、ホームで30分ほど待たされたことを覚えています。やってきた車両は「新型」のほうのレールバスが1両だけ、やはり観光客で車内は混雑していました。終点の西中金で駅前に待っていたバスで香嵐渓を目指したのですが、東海地方随一、全国的にも知られた紅葉の名所とあって、予想通り片側1車線の道路は大渋滞。結局少し手前のバス停で降りて歩き、ようやく着くことができたのでした。
    帰りには、香嵐渓から少し奥のほうへ歩いて、古い町並みが残る「足助」の町をぶらり、ここがバスの始発なので、西中金まで引き返し、行きと同じルートで金山駅まで戻り、中央西線沿線にあるその日の宿へと向かったのでした。
    「山線」は、「足助」まで伸ばす計画もあったのですが挫折したそうで、やむなく終点となった「西中金」駅は周辺にたいした集落もなく、無人駅になって久しいようでだいぶ荒廃していたように見えました。計画通り足助まで伸びていれば、また状況も違ったのかもしれませんが、何しろあの「トヨタ」の超お膝元(足助町も今では豊田市に合併)、地元民はほとんど車を使うので、せいぜい利用価値は「香嵐渓の紅葉の季節」くらいしかなかったようにも思いました。

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  3. モハメイドペーパー2020年5月16日 17:47

     2軸の気動車の時代に西中金まで乗りました。猿投から途中まではそこそこの乗客があったように記憶していますが、小さい車両だからたかが知れています。車社会の所に乗り換えなんかで余計な手間と時間を食わせるようにしたら、利用者離れが進むのは当然ですね。

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  4. Cedarさん
    なまじ架線柱が残っていると余計寂しさを感じさせますね。
    電化区間で非電化した路線は歴史的に生き残れないようですね。

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  5. 伊豆之国さん
    足助までの未成線は車で見ました。
    一部は路盤までできていたようですが、開通したところでこの線の命運は変わらなかったのかもしれません。

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  6. モハメイドペーパーさん
    二軸車の乗り心地は味合わないまま終わってしまいました。
    ホームの左右でも乗り換えというのは乗客にとってはイメージ悪いですね。

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  7. こんばんは。
    旧型の車両から機器を流用した車両も残る中で、電化の設備を取り払い、新しい気動車を導入し、そのための設備も作って、きっとその当初は、コスト削減の効果をある程度長い時間をかけて回収するつもりだったのではないかと想像しています。
    私が初めて猿投駅を訪ねたときには、残念ながらその先はとうの昔に廃線になっており、気動車の走る様子を眺めることはできませんでした。
    お写真の一枚一枚を拝見させて頂き、吊り掛け駆動の車両で猿投駅まで来て、そこからは軽快気動車に乗る、贅沢な鉄道の旅ができた頃を、羨ましく感じています。
    風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com

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