この日は首都圏で永らく活躍してきた73系電車の最後の日でした。
最後の活躍の場は鶴見線で、ぶどう色電車最後の牙城でありましたが、ここも遂に陥落することとなりました。
早いもので、今から40年前の話です。
クモハ73029 80.1.20 鶴見 |
鶴見駅に到着したさよなら列車。
鶴をあしらったヘッドマークがついていました。
クハ79392 80.1.20 鶴見 |
鶴見駅は黒山の人だかり。
クハ79392 80.1.20 鶴見 |
101系との顔合わせもこれが最後です。
クモハ73029 80.1.20 武蔵白石ー浜川崎 |
さよなら列車は武蔵白石の先で待ちました。
1月だというのに窓は全開です。
クハ79392 80.1.20 武蔵白石ー浜川崎 |
振り向いてパチリ。
80.1.20 弁天橋 |
運転終了後、弁天橋電車区では見学が可能でした。
記念撮影タイムは短く、あっという間にヘッドマークも外されました。
クモハ12053、クモハ101-173
80.1.20 弁天橋
|
奥にはこれからも活躍するクモハ12と101系が顔を合わせて休んでいました。
クモハ73029 80.1.20 弁天橋 |
パンタグラフも降ろされて、呆気なくさよなら運転は終わったのでありました。
鶴見線にこんなに人が集まるなんて、想像を絶する光景です。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除私もこの人だかりはびっくりしました。
今だったらかなり厳しく規制されるところでしょうね。
鶴見線73系さよなら運転へは出かける気満々でしたが、前日の深酒による二日酔いで断念しました。
返信削除(先輩が一緒という状況では、途中で帰れずに深夜まで付き合うことになりました。)
こんなに多くの人が集まったことは知りませんでした。
人気のない73系とは思えない人出です。
三等急電さん
返信削除大学受験直前で、さよなら運転なんて自粛するべきタイミングでしたが、これだけは行きたいと出かけました。
その人出には本当にびっくりしました。
今に置き換えたらもっとすごかったのでしょうね。
当日行きました。
返信削除鶴見駅でフリーきっぷを買って乗ったらこの状態です。
ただし、弁天橋でのお別れ会はいきませんでした。
この日の夜のNHKニュースで「茶色塗装の電車は今日で終わり」の見出しで放送されてました。
taiitis さん
返信削除そういえばフリー切符発売されていましたね。
すっかり忘れています。
茶色い電車は混みすぎていて、見るだけにしました。
約1カ月前の12月24日に学校の友人と一緒に鶴見線に行きましたが、人が沢山集まっていてびっくりしましたね。その時に見かけたのは全金更新のクモハ73ばかりだったので、西武のクモハ451とたいして変わらないとも思いましたが(笑)、大川支線のクモハ12単行列車や海沿いの海芝浦駅の風景は面白かったです。
返信削除1980年の年末は南武支線のクモハ11とクハ16も引退しましたが、73系のお祭り騒ぎとは対照的な静かな終わり方で、こちらの方が更に貴重だったのにずいぶん扱いが違うなとも思いました。
midorinoneko さん
返信削除73系電車はあまり見向きをされなかった存在でしたから、この時の人の出方は驚きな気がしました。
南部支線の引退は見に行きませんでしたが、廃車回送はしっかりと追いかけました。
私はもちろん行ってませんが、このころから葬式のバカ騒ぎが始まっていたんですね。
返信削除最初は鉄道会社側も金儲け企んで煽ってましたしね。
お疲れ様でした。
Cedarさん
返信削除この種のイベントは自分も基本行かない主義ですが、首都圏旧型国電の実質的な終焉だったので行きました。
正直げっそりで、これ以降は行っていません。
こんにちは。
返信削除その後の40年で3世代車両が入れ替わり、冬には新車が直接投入されるそうです。
茶色の電車と多様な貨物列車の時代は過去になり、お写真の頃と比べで、鶴見線は本当に静かになってしまったのだろうと思います。
車両の引退に多くのマニアが集まるのは今も昔も変わらないですね。
ただ、国鉄の首都圏全域で最後の吊り掛け電車だったことを考えれば、単に一車両の引退ということよりももう少し大きな“時代の区切り”だったのだろうと思います。
お写真、楽しく拝見させて頂きました。
風旅記さん
返信削除コメントありがとうございます。
あの頃から既に3世代も車両が変わっているというのも時代を感じますね。
仰る通り、あの頃に比べると列車本数も減ってすっかり静かになってしまいましたね。
新世代交代前にもう一回行っても良いかと思っております。