17.2.18 豪徳寺 |
高架化で駅前は薄暗くてどこか寒々としていて、というか風が吹き抜けてすごく寒いです。
招き猫も一寸可哀相。
301B 17.2.18 山下 |
そこで、待ち合わせ時間まで山下駅に移動して時間調整をします。
こちらは温かい日差しが注いで、平和な雰囲気です。
線路と街が近い、こういう風景がやっぱり和みます。
本日は以前から作者ご本人にはお会いはしていたものの、その作品にお会いできなかった松井さんのレジェンドレイアウト・イワキ交通のレイアウトを拝見に伺うことになっていました。
その間を取り持っていただいたのはCedarさんです。
Cedarさんの記事はこちら
⇒http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2018-02-22-1
遂に、拝見! |
そして、ついにご対面です。
1978年にTMS誌に鯨川地方鉄道のあらましとそこで活躍する車輌を紹介、そして新たなコンセプトで1987年にとれいん誌にイワキ交通として車庫のある駅構内のレイアウトを発表。
私にとってはこの2つの記事が「地鉄電車」を生んだと言ってよい作品なのです。
事実、私の地鉄電車は車輛については1980年から製作開始、そして一連の地鉄電車のモジュールレイアウトの初作品「岩倉町駅」は1991年製作なので、松井さんの記事がどちらも影響しているわけです。
そのような私にとっては原点となった作品を拝見できるのは大変嬉しいことです。
この作品は記事発表後、一時はとれいんギャラリーに飾られたのを最後に約30年間封印されて屋根裏で眠っていたそうです。
今回ご自宅の整理をされるにあたって、屋根裏から降りてきたためにそれを見せて頂く機会を得たというわけです。
1978年のTMS |
こちらが、1978年のTMSに発表された心象鉄道「鯨川地方鉄道」の記事です。
これまで、自由形で展開する自由形の世界は発表されてはいましたが、明確に歴史背景から実際の運行形態や構内配線まで考えて創作された心象鉄道はほぼ皆無であったと思われます。
車輛についても自由形ですが、奇想天外なデザインではなく、各地の地方鉄道からエッセンスを吸収していかにもありそうな車輌を製作されています。このようなセンスは一朝一夕に養われるものではなく、それなりの経験とセンスを持ち合わせないとできないものです。
1988年のとれいん |
こちらがそれから約10年後にとれいん誌に発表された、「イワキ交通」です。
肝心の1987年の本が発見できず、これは翌年発表された補足記事の方です。
このレイアウトは1800×900、つまりベニヤ板一枚のスペースに交換駅とそれに隣接する電車区風景を再現したもので、細部まで凝ったこのような作品はこれまでにないもので、今見ても全く色褪せていません。
乗り入れました!・1 |
そのイワキ交通に地鉄電車を乗り入れさせていただきました。
右が松井さんの「鯨川地鉄」、左が拙作「中越地鉄」の電車です。
なにせ、松井さんの作品をパクっていますので、並んでも全く違和感が感じられないのはある意味当たり前です。
封印された30年間で一部破損があったり、ストラクチャーが取り外されていたりしますが、それ以外は30年も経ったとは思えない状態でした。
乗り入れました!・2 |
こちらは乗り入れPart2です。
左の車輌は松井さんの「イワキ交通」電車、右は拙作「中越地鉄・旧塗装」電車です。
これまた、違和感なしですね。
パクっているので、当たり前です(笑)。
車庫に入庫 |
車庫本体は別箱に梱包済みでしたので野天の電車区でしたが、このような写真を撮るには好都合でもありました。
左右はイワキ交通車、中央は中越地鉄車です。
見飽きない作品と思い出話、地方私鉄話など、話は尽きません。
あっという間に陽が暮れてしまいました。
名残惜しいですが、ご自宅を失礼します。
乾杯イエイ |
先程までの話がお店から追い出されるまで続きました。
17.2.18 経堂 |
ここのところ仕事面ではいろいろあってストレスが溜まっていましたが、一気にそれを晴らすような素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。
2 件のコメント:
お疲れ様でした。今気がつきましたが、鯨川車と中越車の併結運転、写真撮ればよかったですね。
国電+豊鉄併結が昔飯田線にありました。
Cedarさん
ありがとうございました!
Cedarさんの記事、いいですね!
併結運転風景、そういえば撮り忘れましたね~。
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