少年時代から大の電車好きです。 物心ついた時には踏切の横に立って電車を見ていました。 以降、全国各地に吊り掛け電車を追いかけて歩いた記録を中心に、模型やストラクチャー探訪記などを気まぐれに載せてゆきたいと思います。
西鹿児島・・・もう名前を聞くだけでアキマヘン西鹿児島行の「富士」「はやぶさ」「あかつき」「なは」「桜島」・・・・嗚呼〜〜〜〜
青春Mきっぷさん西鹿児島という響き、旅情を感じさせましたね。あの名列車が走った本線も寂しくなってしまいましたね。
鹿児島には、4年前に初めて訪れ、間近に見える桜島の雄大な眺めに感慨を覚えたものでしたが、新幹線のターミナルとなった西鹿児島改め鹿児島中央駅は巨大な駅ビルに変身していて、「ここまで画一化が進んできたのか」と唖然としたものも…。その一方で、駅前を走る市電の姿に、路面電車大衰退期に少年時代を過ごした者として、昔を思い起こしてほっとした気持ちも抱いたのでした。これに対し、かつてのターミナルだった「本家」鹿児島駅のうらぶれた姿も目の当たりにしていて、その落差は今では「京急横須賀中央>JR横須賀」とか「近鉄四日市>JR四日市」以上の大差になっているのではないでしょうか。
鹿児島交通の塗色、かなり刺激的ですね。私は夜行で着いて最初にこれを見て、眠気がいっぺんに覚めました。
鹿児島は最近では2006年2月と2013年7月の2回訪問しています。2013年の時は1週間ほど滞在したのですが、この時の用務先は鹿児島駅の方に近く、駅周辺はどちらかというと官公庁街であることがわかりました。西南戦争で有名な「城山」や「私学校跡」も鹿児島駅の方が最寄で、薩摩藩時代の都市計画が伺えました。実際に泉南戦争最後の戦場となった「城山」が位置することからもうかがえるように、薩摩藩の主要な行政機関は山が迫っている現在の鹿児島駅の周辺に集まっており、そこから南西に広がる平地に市街地が広がる、という都市計画になっており、実際に西郷隆盛、大久保利通、大山巌、桐野利秋、篠原国幹といた明治維新の元勲たちの旧居が散在しています。時代が進むと共に経済の中心が薩摩藩以来の官公庁近くから市街地へと移り、それに伴って「経済の中心」の最寄駅が鹿児島駅よりも西鹿児島駅に近くなり、優等列車の終着駅が西鹿児島駅へ移り、最終的に西鹿児島駅が鹿児島市の実態を反映した「鹿児島中央駅」に変わったと解釈されます。この変遷は、上記の伊豆の国さんの横須賀市内のJRの横須賀駅と京急の横須賀中央駅の関係でも同じことが言えます。2006年と2013年の訪問の両方で鹿児島まで足を伸ばす貨物列車を見ているのですが、2006年時点では機関車がED76だったのが、2013年にはEF81に変わっていました。同時期に下関にも出張していて、関門トンネルを超える貨物列車の牽引機がEF81からEH500に替わったことを確認しており、関門運用から機関車が玉突きされたことになります。一方でED76も残っており、2015年4月の出張で小倉駅を通過するED76牽引の貨物列車を見ました。
伊豆之国さん鹿児島は割と早い時期から西鹿児島に顔を譲った感じがします。規模が全然違いますが萩と東萩と印象がダブります。
モハメイドペーパーさん昨日まで、お疲れ様でした。あの気動車の色は強烈ですね。青い帯とのミスマッチングも凄かったです。
原口さん街の変遷というのは興味深いですね。官庁街は次第に街の中心部から徐々に外れて、近くの繁華街が街の中心部に移って行く傾向はある気がします。ED76は個人的には縁の浅い機関車に終始してしまいました。
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西鹿児島・・・もう名前を聞くだけでアキマヘン
返信削除西鹿児島行の「富士」「はやぶさ」「あかつき」「なは」「桜島」・・・・
嗚呼〜〜〜〜
青春Mきっぷさん
返信削除西鹿児島という響き、旅情を感じさせましたね。
あの名列車が走った本線も寂しくなってしまいましたね。
鹿児島には、4年前に初めて訪れ、間近に見える桜島の雄大な眺めに感慨を覚えたものでしたが、新幹線のターミナルとなった西鹿児島改め鹿児島中央駅は巨大な駅ビルに変身していて、「ここまで画一化が進んできたのか」と唖然としたものも…。その一方で、駅前を走る市電の姿に、路面電車大衰退期に少年時代を過ごした者として、昔を思い起こしてほっとした気持ちも抱いたのでした。
返信削除これに対し、かつてのターミナルだった「本家」鹿児島駅のうらぶれた姿も目の当たりにしていて、その落差は今では「京急横須賀中央>JR横須賀」とか「近鉄四日市>JR四日市」以上の大差になっているのではないでしょうか。
鹿児島交通の塗色、かなり刺激的ですね。私は夜行で着いて最初にこれを見て、眠気がいっぺんに覚めました。
返信削除鹿児島は最近では2006年2月と2013年7月の2回訪問しています。
返信削除2013年の時は1週間ほど滞在したのですが、この時の用務先は鹿児島駅の方に近く、駅周辺はどちらかというと官公庁街であることがわかりました。西南戦争で有名な「城山」や「私学校跡」も鹿児島駅の方が最寄で、薩摩藩時代の都市計画が伺えました。実際に泉南戦争最後の戦場となった「城山」が位置することからもうかがえるように、薩摩藩の主要な行政機関は山が迫っている現在の鹿児島駅の周辺に集まっており、そこから南西に広がる平地に市街地が広がる、という都市計画になっており、実際に西郷隆盛、大久保利通、大山巌、桐野利秋、篠原国幹といた明治維新の元勲たちの旧居が散在しています。時代が進むと共に経済の中心が薩摩藩以来の官公庁近くから市街地へと移り、それに伴って「経済の中心」の最寄駅が鹿児島駅よりも西鹿児島駅に近くなり、優等列車の終着駅が西鹿児島駅へ移り、最終的に西鹿児島駅が鹿児島市の実態を反映した「鹿児島中央駅」に変わったと解釈されます。この変遷は、上記の伊豆の国さんの横須賀市内のJRの横須賀駅と京急の横須賀中央駅の関係でも同じことが言えます。
2006年と2013年の訪問の両方で鹿児島まで足を伸ばす貨物列車を見ているのですが、2006年時点では機関車がED76だったのが、2013年にはEF81に変わっていました。同時期に下関にも出張していて、関門トンネルを超える貨物列車の牽引機がEF81からEH500に替わったことを確認しており、関門運用から機関車が玉突きされたことにな
ります。一方でED76も残っており、2015年4月の出張で小倉駅を通過するED76牽引の貨物列車を見ました。
伊豆之国さん
返信削除鹿児島は割と早い時期から西鹿児島に顔を譲った感じがします。規模が全然違いますが萩と東萩と印象がダブります。
モハメイドペーパーさん
返信削除昨日まで、お疲れ様でした。
あの気動車の色は強烈ですね。
青い帯とのミスマッチングも凄かったです。
原口さん
返信削除街の変遷というのは興味深いですね。
官庁街は次第に街の中心部から徐々に外れて、近くの繁華街が街の中心部に移って行く傾向はある気がします。
ED76は個人的には縁の浅い機関車に終始してしまいました。