タイムカプセルシリーズ、今回は1980年の今日です。
クモル24051 80.4.3 西日暮里 |
こちらは、西日暮里の京浜東北南行線をゆく、配給電車です。
クモル24051号は唯一50系時代の顔を残した改造車で、私の一番贔屓にしていた車輌でした。
まだ配給電車の後ろには新幹線線路はありません。
クモル24051 80.4.3 鶯谷 |
同じ配給電車を鶯谷で。
この時は115系電車と被ってしまいました。
当時はチッ!と思いましたが、今見るとこれもアリかと思えるようになりました。
クル29020 80.4.3 御茶ノ水 |
こちらは別の配給電車です。
津田沼電車区から戻って来たところを御茶ノ水駅の端から撮っています。
クモル24011 80.4.3 御茶ノ水 |
振り向いたら153系の急行外房と顔合わせをしていました。
右の電車も撮っておけばよかったと今となっては反省しきりです。
12 件のコメント:
クモル24051号は木造電車由来の強度の弱い台枠のためアオリ戸が無いことも特徴ですね。
配給電車と新性能電車の並び、新性能電車すらレトロ化した今となっては貴重な記録です。
三等急電さん
アオリ戸が付けられない種車を敢えて1両だけ選んだのも不思議ですね。
当時の新車の大半は過去帳入りしちゃいました。
クモルの代わりにクモニだったり、新前橋に行くのは入出場車を併結することもあるせいか、2Mだったりとか、いろいろと変化に富んでいました。スジが決まっていた割に、あまり撮っていないのは、後悔先に立たず、です。
モハメイドペーパーさんの話の新前橋への配給車は、クモル145―クル144になってからですが、熊谷駅に止まっているのを何度か見たことがあります。
新前橋の入出場車と配給車の連結ですが、電気的に逆を向いているのを長ジャンパケーブルを使って強引につないでいました。これは、配給車が山手線の車両に方向が合っているため、大井工場を出て山手貨物線を北上すると北側が奇数向きになっているのに対し、新前橋、小山の車は南側が奇数向きになっているためで、電気側と空気側が反対になっているため、編成としては配給車の後ろに入出場車がぶら下がる形にして、長ジャンパケーブルを使って連結器の上をクロスさせて電気的につないでいました。
旧型国電の配給車はクモル24形の方がクル29型より圧倒的に多かったですが、これは配給車として出向いた先で車庫内への入換のアルバイトをすることがあったためで、電線が走っていない車庫の奥深くへ電車を押し込むため、反対側の端にパンタグラフがあると便利だったことによります。クル144形にもパンタグラフが付いていることと、クモヤ143形が2丁パンタなのも同様の理由によります。
モハメイドペーパーさん
新前橋へ行くやつは高速運転かつ遠距離なので万が一エンコした時のために2Mで走らせたと聞いたことがあります。
今考えると都内ではなく埼玉県内で撮っておくべきでした。
原口さん
結構強引なことして繋いでいたのですね。
また、2Mの理由にそう言うこともあるのですね。
以前中原では奥に突っ込むのにクモハ40を使っていたのを見たことがあります。
chitetsuさんの対象が旧型国電であるのは言うまでもありませんが、
115系や153系はやっぱり大目玉が良く似合いますね。
当方子供の頃、京都の祖母宅へ西宮から行く時、阪急沿線に住んでいたにも関わらず、
153系新快速(ブルーライナー)で京都へ向かうのが、特にお気に入りでした。
低運転台に大目玉は良くお似合いだと思います。
北マトさん
初期高性能車の大目玉はデザイン的に似合いますね。
特に低運転台車にはぴったりです。ブルーライナーの低運転台車、恰好良いのでしっかり模型を買いました。
房総急行と言えば、165系のイメージだったのですが、晩年は153系が入っていましたね。
チタ車の転属でしょうが、153系は急行『伊豆』や『おくいず』の印象が強く、
今でも伊豆急100系と共に、伊豆急線の海辺を走っているイメージがあります。
房総半島と言うと、自分の場合はフェリーで行く所と言った感じで、
大抵の場合、KQ+東京湾フェリーか、車+東京湾フェリーが殆どでした。
親戚が南房総に居ますが、暴走急行には両国から通しで乗車したことは無く、
かつて東京湾フェリーの横浜‐木更津航路が存在していた子供の頃、
館山から木更津まで165系の『内房』に区間乗車した経験しかありません。
それにしても急行『内房』『外房』『犬吠』と来れば、きっと『ハタ坊』も居るのでは?
と変な期待をしていた小学生の頃でした。
房総急行の153系ですが、50-3改正による山陽急行の廃止による転属車が主です。捻出された165系や153系が昭和48年10月の中央西線、篠ノ井線電化、昭和49年10月の北総電化後も気動車で残っていた急行列車の電車置き換えに転用された形になります。房総急行に転用された153系は非冷房車が混じっており、昭和50~51年冬の閑散期に増結用の165系を基本運用に入れて運用から外す形で冷房改造を行っています。
153系の原型では、貫通扉の周りの幌枠のところがステンレス無塗装だったのですが、東日本の車は車体色に塗りつぶしており、写真の車も塗りつぶしが確認できます。これに対して西日本の車はステンレス無塗装を残しており、50-3改正で首都圏に転属した車はしばらくステンレス無塗装のままで原型の特徴を残していました。
ジモティーさん
確かに巻頭で53系というと東海道筋の列車の印書がありますね。
私も房総急行は165系のイメージがありましたが、結構153系走っていたみたいですね。
因みに房総方面の急行列車は「ハタ坊」も含めて一度も乗ったことはありません(笑)。
原口さま
房総用の153系は山陽筋からやって来たのですか。
貫通扉の幌枠を塗りつぶしたのは残念でした。
コメントを投稿