それも、あまりメジャーではないEF61形機関車です。
この写真は飯田線の電車を撮影した折に撮ったもので、後続の客車(ワキ以外ですが)を含めて撮影した記録をご紹介します。
但し、どの車輌についてもあまり詳しくないのでコメントはあまり書けません・・・。
EF61 9 78.1.2 豊橋 |
ところが!EF58形と比べて車体の外板が薄かったことからSGの排出口を中心に屋根板の腐食と強度低下が早く進行し、一部の車両では錆びた屋根が抜け落ちる事故が発生したそうです(ウイキより)。この時代の車輌に共通する問題が露呈したわけですね。
そして一部機関車は1979年から休車も発生し、1984年には全機運用離脱という結末を迎えています。
訂正→計画だけで終わっていました。
マニ60 4 78.1.2 豊橋 |
機関車の次位はマニ60形の若番車。
先日、日本精密模型から発売されて、再生産で手に入れました。
マニ61 358 78.1.2 豊橋 |
こちらはマニ61形。
台車が32系客車と振り替えてTR23になっていますね。
マニ60 169 78.1.2 豊橋 |
こちらは、再びマニ60形。
種車の違いで窓配置が全く異なります。
マニ50 2018 78.1.2 豊橋 |
最後は薄命に終わったマニ50形。
最後に製造された車輌は本来用途では5年しか運用されていないという、いかにもお役所的な計画性の無い車両計画の産物になってしまいました。
10 件のコメント:
おはようございます。
EF61形、カッコいいですねぇ。横のルーバーの形状が整っていて、好きな
機関車でした。
ちなみに、EF61形で瀬野八の補機用EF61形に改造された車両は無く、EF60
の初期型からの改造車のみでした。そのお陰で、EF59が遅くまで生き残った
訳ですが・・・
荷物列車が姿を消して、今年でもう30年。早いものですね・・・
EF61型電気機関車ですが、瀬野八の補機への改造は行われずに終わっています。当初はEF60型のクイル式駆動で落成した初期車の1~14号機の全て(EF61型200番台)と、EF61型のうち、荷物列車運用と貨物列車運用に分けられていたグループのどちらか全てを改造(EF61型100番台)して、EF59型の全てを置き換える計画だったのですが、重連運転で問題が発生(確か連結器に過大な力がかかるため)したために暫定的に単機運用に限定されることになり、改造計画が中断しました。解決策は、結局「単機でEF59型重連相当の力を持つ機関車を開発する」こととなり、EF67型が改造されました。このため、EF61型とEF60型の残りの機関車からの改造は実施されずに終わりました。これが、「何故「EF60型」からの改造機が「EF60型」を名乗らずに「EF61型」を名乗ったのか」と「EF61型の区分番台が0番台から200番台に飛んでいること」「EF61型200番台が番号が歯抜けであること」に対する回答になります。
RP82-4号の旧型電気機関車特集で、EF59形にも触れられているのですが、この中で昭和56年10月現在、EF61型200番台が201,203,211号機が第1種休車になっており、運用に入っているのが5両だけになっています。
SGを積んだ機関車の車体の腐食はEF58型でも深刻だったようで、「車体が中から崩れていくような感じだった」との当時の話を聞いたことがあります。
nnishi1968さん
自分はこのあたりの機関車について疎く、ウイキペディアで調べてお勉強しました。
次世代を担う期待を背負って誕生した機関車だったのですね。
瀬野八補機の件、ご指摘ありがとうございました。
早とちりしてましたね。
本文訂正しました。
機関車の改造計画というのもなかなか思惑通りには行かない、ということだったのですね。
当たり前に走っていた荷物列車もちょうど消滅して30年目というのも時の流れを感じます。
原口さん
コメントありがとうございます。
お勉強になりました。
EF60と61、ちょっとややこしいのですね。
電気機関車にSGを積むというのはやはり結構無理があったのですね。
確かに、しょっちゅう蒸気があれだけ発生しているわけですから腐食するのもむべなるかな、ですね。
カマに目が向きがちですが、小生はマニの写真に目が向きました。
クモニとか、クハユニは撮っていたのですが。。。。
マニはすべて、”その他大勢”という感じで、
編成写真の一部としてでしか意識してませんでした。
さすがchitesuさん。脇役にも光をあててますね!!
maru-ha殿
○○まで一か月、早いですね・・。
客車列車はつい機関車に目が行くのが普通でしょうが、天邪鬼の私は後ろの方につい目が行ってしまっていました。
バラエティ豊かでいつ出会えるかわからない荷物車は意外性があって面白かったです。
nnishi1968さんがカッコいいとお褒めのEF61は、ヨロイ戸タイプのルーバーとHゴムのない明り窓は運転室側窓と高さを揃え、EF60より長めの車体と相まって美しいデザインとなっています。
前面スカートにある縦型筒状の連結器走行開放用空気シリンダーに目にとまりました。
これは、新製間もない1962年の山陽本線広島電化時に出力不足の151系や153系の瀬野八越え補機運用に間合いで就いていた時の名残です。
自連の151系では走行開放が行われましたが、密連の153系は控車を介して連結していたため駅での停車開放でした。
旅客用でクイル式駆動だったことが致命的だったのか、長年に亘って地味な存在で計画されていた貨物用改造もありませんでした。
翌年にはEF60が吊り掛け式に変更しているので、もう1年遅く吊り掛け式で登場していたら違う一生だったかもしれません。
模型ではED100というショーティーがあり、子供の頃に買いました。
それから、途中から広窓になった鋼体化客車ですが、旅客用でないためかマニ60形は狭窓のままでした。
こんにちは
EF61、いいですね〜 急行しろやま(→屋久島)の下りのみEF61牽引、寝台なのに神戸を昼の3時台に下るのでいつも見てました
廃止後も荷レで見れましたが、晩年は2灯化されたものが来ることが多かったです。でか目、やっぱコレですよね!!
私も客車、撮ってません、マニなんて全部一緒だと思ってましたぁぁぁ嗚呼〜
三等急電さん
改めて見てみると良くまとまったスタイルをしていたのですね。
先日ネガスキャンするまで、撮ったことどころか機関車の存在さえ忘れていました。
イメージ的にはEF60の次がEF65のようなイメージで存在感が薄かったですね。
青春どMさん
東京発寝台列車で3時台に神戸通過とは今の時代では信じられないような列車だったのですね。
てっきりこれはEF58が引っ張っていたのかと思いました。
このスタイルのブタ鼻ライトはちょっといただけないですね~。
客車って被写体としてはどうしても二の次、可哀相な存在ですよね。
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