2016年2月17日水曜日

貨物列車

卒業を間近に控えた1984年の成人の日、友人と函南を訪れています。
今となっては何が目的で行ったのか?ネガの画像を見返しても今一つ思い出せません。

EF65 1124 84.1.15 函南ー三島

これが目的だったのか?
20系のブルトレが白昼堂々と東海道を下ってゆきます。
ちょっと20系客車が当時どうであったのか調べてみますと・・・
1980年10月で「あけぼの」の24系化を最後に特急での定期運用が消滅
1986年11月で「だいせん」「ちくま」を最後に急行列車での定期運用も消滅
という状態であったようです。
これは何かの団体列車だったのかも知れません。

さて、ここからが本日の本題・貨物列車です。

EF65 71 84.1.15 函南ー三島

来たーーーーっ~!
富士山をバックにしたはずが、殆ど写っていません。
EF65を先頭にした当時一般的な車扱いのごちゃごちゃと色んなもんがくっついた貨物列車です。
電車やChitetsuはこういう列車は殆どカメラを向けていませんでした。
なので、この時も貨物列車はこの一本だけしか撮っておりません。


84.1.15 函南ー三島

逝った・・・。

84.1.15 函南ー三島

逝ったぁああ!!
殿はワフです。

84.1.15 函南ー三島

そして長い貨物列車はトンネルに吸い込まれて行きました。

貨物列車の編成途中や後姿を撮ったのはこの時だけ・・・。
フィルムの余った駒を埋めただけの4カットですが、今改めて見てみると結構愛おしくも思えてきます・・。
フィルム時代だから撮ったと思われる「捨てコマ」が今や自分的には貴重なカットになったりしています。


8 件のコメント:

  1. ジモティー2016年2月17日 19:13

    ごちゃごちゃと色んなもんがくっついた貨物列車は、ヤード間を結ぶ輸送力列車として、
    昔は東海道線でも数多く走っていましたね。機関車もEF65以外に、EH10やEF60、超レアなEF61と、
    EF66も第2次増備後は、こんなごちゃごちゃの一般貨物列車を牽いているのをたまに見かけました。

    その他にも、東海道線には特急貨が頻繁に走ってましたが、よく西行きの113系に乗っていると、
    反対側の窓を機関車がすれ違い、数個のコンテナが飛び去った後が続かないので、
    随分短い編成だなと思っていると、いきなりまたコンテナの箱が数個飛び去って行き、
    びっくりしたことが度々あります。

    こんな酷い特急貨フレートナイナーは、当時東海道線では頻繁に見かけましたが、
    長大編成のごちゃごちゃな一般貨物列車の中身は、ちゃんと貨物が詰まっていたんでしょうか?
    まさか中身は空だったりして・・・。

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  2. ワッフーキター!! こんばんは
    20系は富士あたりまで頻繁に走ってた「創臨」ではないでしょうか
    貨物もいいですねーこうして見ると。
    とにかく黒貨車が懐かしいです〜

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  3. 貨物列車の2枚目の写真の2両のタンク車はジャケットおよびS字管付きで、タキ4200形やタキ7750形等、苛性ソーダ専用タンク車によく見られる形態です。撮影地点から、富士あるいは吉原の製紙工場向けの苛性ソーダを輸送のための運用に入っていたと考えられます。製紙用薬品としては、苛性ソーダは木材チップからパルプへ加工するのに使われますが、他にパルプを漂白するために塩素を大々的に使っており、黄色いタンクのタキ5450形液化塩素専用高圧ガスタンク車も多く走っていました。製紙関連では他にも「亜硫酸パルプ廃液」「クラフトパルプ廃液」といった製糸工業独特の液体や、紙の処理用の硫酸も輸送しており、製紙工場が林立する富士近辺は化成品専用タンク車のメッカだったといえます。
    3枚目のタンク車は上からかぶせたようなジャケットを付けており、この形態のジャケットも結構よく見ます。タキ8850形辺りのラテックス線用車化とも思ったのですが、他にも候補がいろいろありそうです。

    20系ですがまだ3本帯が多い中で、機関車の次位のカヤ21型は明らかに上の帯が消去されており、塗装の簡略化が始まっていることが伺えます。

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  4. ジモティーさん
    コンテナ列車は上半分しか見えないと急にコンテナが現れたりして結構ビックリすることがありますね。
    あんなにまばらに置いて脱線しないのか?と模型的に考えると心配になったりします。
    あと、車扱いのワムとかはどこまで中身が入っていたのでしょうね?
    そんなこと考えると夜も眠れなくなっちゃいます~。

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  5. 青春Mさん
    なるほど、創価臨かもしれませんね。
    行った本人がどんな列車を撮ったかすっかり忘れているのも情けないです・・・。
    黒い貨物列車、踏切で一輌、二輌と数えていた少年時代を思い出させますね。

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  6. 原口さん
    さすが、お詳しいですね!
    タンク貨車は見た目にも変化があって楽しいですね。
    富士付近の東海道線に乗っていると製紙工場お独特のにおいがするのを思い出しました。
    20系も、すでに波動用でしか使われなくなったころの姿ですね。

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  7. 80年代前半で東京口には「銀河」や臨時の「あさかぜ」も残っていましたね。
    こちらの写真は時間帯から言ってみなさんおっしゃる通り、ソウカ臨なのでしょうね。
    ちなみに上部白帯が消えたのはいつ頃なのでしょうかね。
    昭和63年頃には既に消えていたようですが。

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  8. てつよしさん
    20系の活躍は80年代前半でほぼ終わった感じでしょうか。
    上部の白帯が消えたのはかなり晩年のことのようですね。

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