2016年1月22日金曜日

福塩線 三度目の訪問

世代交代が激しかった70年代後半の福塩線、次の訪問はその年の冬休みでした。
この数か月の間に世代交代は進み、既に70系の天下になっていました。

クハ76090(左)、クハ76314(右) 
77.12.20 備後本庄

備後本庄で離合する70系電車。
70系電車になったことで全て4連での運用を余儀なくされ、以前のような柔軟な運用を組むことはできなくなりました。

クハ76309 77.12.20 府中

全金属のクハ76。
どこjかこの路線には不似合いな気がしました。

クハ76307 77.12.20 府中


クハ76の300番代は80系300番代と合わせて旧形国電の掉尾を飾るスマートな車体になっていました。


クハ76083 77.12.20 府中


阪和線時代同様、全金車だけでは賄えず、半鋼製のクハも在籍しました。

モハ70317 79.3.19 府中

モハ70も写真のようにクハ76同様に全金車と半鋼製車が混じっていました。

クハ76312 79.3.19 神辺ー横尾

更に二年後に4度目の訪問をしています。
この時は府中までは行かず、神辺までの区間で走行シーンを撮っています。
こちらは、神辺付近を走る70系電車。

クハ76309 79.3.19 横尾ー神辺

横尾から備後本庄の間は芦田川に沿って走ります。
沿線では一番変化のある区間です。

 79.3.19 横尾ー備後本庄

79.3.19 横尾ー備後本庄

川沿いを走る70系電車は、スッキリしすぎていて青い電車を見てしまった目からすると、ちょっと物足りなく感じました。

クハ76309 79.3.19 横尾ー備後本庄




私のバイブル、ピクトリアルの表紙の場所にも行ってみました。
フォトジェニックだと思った踏切は閉鎖され、架線柱も変わっています。

福塩線を訪れたのはこれが最後。
その後の様子は知りません。

2 件のコメント:

  1. 105系投入で2連運用が復活したことから、初めから70系は短期間のつなぎだったのでしょうか。
    70年台後半になり地方にも新性能電車が直接投入されると、2連の組めない70系と80系は急速に姿を消しました。
    飯田線の80系と福塩線の70系が1M方式車登場まで残ったのは、製造後20年程度だった全金車の廃車が難しかったが一因かもしれません。

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  2. 三等急電さん
    福塩線の70系や呉線の山スカなどはつなぎ役であったのでしょうね。
    どちらも活躍期間は短かったです。
    全金の旧型国電は薄命だったですね。

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