そこでという訳ではありませんが、掲載出来なかった画像をこちらで何回かに分けてお届けしたいと思います。
最初は鶴見線のクモハ12形です。
クモハ12053 80.1.20 弁天橋 |
弁天橋電車区で休むクモハ12形の脇を101系電車が通過する・・・。
本線の73系電車が引退した日の電車区解放時に撮りました。
クモハ12052 77.3.26 武蔵白石ー大川 |
高校生時代になってようやく一眼レフで訪問出来た最初の大川支線の画像です。
ダイヤは忘れてしまいましたが、昼間でもそれなりに動いていた気がします。
今は平日で1日8往復の上に8時台の次は17時台、土休日に至っては1日何と3往復しか無いのですね。
時刻表見てビックリしました。
クモハ12052 90.2.24 浅野 |
浅野駅のカーブしたホームに入る海芝浦ゆき。
クモハ12052 94.10.17 浅野 |
駅の外れから鶴見ゆき電車を撮りました。
晩年は窓に無粋な保護柵が付いてしまいました。
クモハ12053 86.6.15 国道ー鶴見 |
東海道線側の高台から国道駅を見下ろして。
クモハ12053 86.6.15 浅野 |
こちらは浅野の踏切から。
クモハ12053 86.6.15 大川 |
陽が暮れてからの大川駅にて。
赤い信号の灯りがぶどう色の車体を染めていました。
10 件のコメント:
1枚目のクモハ12の運転席扉右側の窓が埋められているのがはっきり写っていますね。実車や写真を見てる割に気づきませんでした。近く住んでいた関係で鶴見線は70年代にたまに撮りに行きましたが昼間でも結構な本数が走っていた記憶があります。JR北海道のダイヤ改正発表のように不採算な時間帯の運行や路線はバッサリ切る鉄道にとっては冬の時代です。
大川線の現行ダイヤ~すげー!
JRって鉄道に興味が無いんですね。
沿線の工場も撤退したり規模縮小、おまけに従業員はマイカーか専用バスで送迎という時代です。
そのうち、工場の夜景を見る特別列車が走るかも。
toboさん
窓を埋めた跡はクッキリ出ていますね。
国鉄の改造工事ではこんな感じのが多かったですね。
大川の支線はいつまで持つのでしょうか?
Cedarさん
こんな都会の近くでもこんな本数の路線があるのですね。
この区間はもう鉄道の使命は終わったのでしょう。
モハメイドペーパーさん
そうですね。
以前、大川に取引先がありましたけど、鶴見線乗って向かう場所では無かったですね。
亡父がT芝鶴見工場に勤めていたので、子供の頃(50年ほど前)、しばしば鶴見線で遊びに行きました。
社員の子供が職場に気軽に行く・・良い時代でした。
父は最初は工場勤務だったので、海芝浦で降りました。
ホームの下がすぐ海で、カモメが飛んでいました。
その後、管理部門に移り、最寄り駅は新芝浦になりました。
どのお写真も懐かしく、当時を偲ぶことができ感謝しております。
逆に言えば、鶴見線はその間、ほとんど変わらなかったということでしょうね。
シグ鉄さん
海芝浦駅は海べりに立地していて、都会から近いのに旅をしたような気持ちにさせる駅でしたね。
鶴見線は電車は変われど、沿線風景は割と変わっていない気がします。
また失礼します。
(あちこちコメントして申し訳ないです)
こちらのブログは非常に楽しいですね。
知らない時代でも共感を持ててしまいます。
横長の本でレイルシリーズっていう本があり、その中の東京の電車と言う本がありまして、その中でこちらの形式が取り上げられておりました。
私が非常に幼いころに買ってもらった本で他の鶴見線の車両も掲載されてました。
その後、鶴見線に乗りに行ったら偶然にもホームにこの車両が止まっていました。大川支線専属かと思ったら、この日は鶴見と大川を行ったり来たりする運用でした。
お恥ずかしながら本形式が私が乗った唯一の旧型国電です。でもリベットや車内の温もり、そして何より吊り掛け音の力強さは今でも耳に残っています。
VVVFの音もなんちゃって吊り掛け音にしてくれればいいのに、と思いますね。吊り掛け全盛の時代は知りませんが、あの音を聞くと一日仕事頑張れるモードになりそうだと思うのですが、いかがでしょうか?
吊り掛け好きさん
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
あの時代の電車は手作り感があって落ち着きますね。
独特の音も今やほとんど聞けなくなりました。
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