デハ803 81.8.4 熊谷 |
デハ800形、運行当初の姿です。
伝統的な秩父カラーに塗られています。
正面の額部分の塗り分けはちょっと微妙ですね。
デハ810 81.8.4 熊谷 |
こちらは、小田急時代の中間封じ込め運転台のデハ810。
貫通扉の窓形状や方向幕の部分もオリジナルの姿をそのまま残しています。
秩父で晴れて再び先頭で風を切れるようになりました。
クハ854 81.8.4 熊谷 |
こちらは制御車のクハ854です。
小田急時代同様、基本2連×2の4連で活躍をしました。
デハ104(左)、クハ854(右) 81.8.4 熊谷 |
100系電車との顔合わせです。
100系電車は31両、800系電車は譲渡22両・竣功20両でしたので、すべての100系電車を800系電車で置き換えることはできませんでした。
デハ801 80.4.27 御花畑 |
御花畑駅に進入するデハ801。
ホームは砂利、踏切付近の建物も懐かしいです。
複線化して西武の電車が入線するなんて想像できなかった頃の話です。
クハ852 80.4.27 白久ー三峰口 |
この電車に乗って白久で下車しました。
折り返し三峰口からやって来た800系電車。
デハ801 80.4.27 白久ー三峰口 |
振り向いてデハ801です。
デハ801 81.8.4 波久礼ー樋口 |
荒川に沿って走る800系電車。
88.3.20 上長瀞ー大野原 |
800系電車は1985年に他系列同様に塗装が黄色に帯を巻いた新塗色に変更されました。
長瀞の鉄橋を行く塗装変更後の800系4連。
86.5.14 樋口ー波久礼 |
荒川の流れを眺めて走る波久礼付近。
現在は木が成長してこんな感じで見ることはできなくなっています。
86.5.14 黒谷 |
黒谷付近をゆく800系電車。
その後国鉄101系が投入されて、800系電車で置き換え切れなかった残りの100系電車を置き換えましたが、その後も更に増備が続いて100系を置き換えた筈の800系も置き換え対象となり、1990年には早くも全車廃車となってしまい、同系列の秩父での活躍は10年程度と意外と短いものとなってしまいました。
小田急1800、この電車のおかげで今の小田急の20m10連の基礎ができたと思うと価値がありますね。
返信削除4000との混結は競合脱線という結果になり、純血小田急ファンからは嫌われてたみたいですが、Cedarは大好きでしたね。今の3000+8000より全然OK。
Cedarさん
返信削除ロクサン形と言うと悪いことばかり書かれますが、戦後私鉄の規格向上には間違いなく貢献していますね。
4000との競合脱線の報道見た時はびっくりしましたが、今の混結より見た目はよっぽど良かったですね、確かに。
それまでオリジナル電車だった秩父鉄道は、この車両以降は他社からの譲渡車になりました。
返信削除復活した小田急時代に中間封じ込まれた未改造運転台ですが、秩父鉄道でも4連の中間に組み込まれることが多かったようで、他のHPも含めて営業中の車両では貫通扉の窓が大きい画像がほとんどです。
小田急のロクサン、当該形式とは別に初代ロマンスカーに化けたのもいましたね。
返信削除また名鉄から放出され、小田急と東武に生き別れた車輌が寄居で顔合わす事もあったのでしょう。
三等急電さん
返信削除小田急時代同様4連での運転が主であった所為でしょうね。
編成替えもあったのでしょう、自分は何度か中間封じ込め車が先頭の姿を見ました。
12号線さん
返信削除そう言えば寄居や羽生では名鉄で生き別れたロクサン電車がきっとご対面していますね!
運命のいたずらでしょうね。
気が付きませんでしたが、そう考えると面白いですね〜。
はじめまして。すぎたまと申します。
返信削除秩父鉄道では、小田急1800改め秩父800系の導入と共に、付いていた列車無線を生かし、同じ周波数のまま使用開始したので、小田急時代先頭に出なかった車輌が先頭に出て営業運転したことは無いと思われます。
留置時や、廃車時、譲渡後半に番号が揃わないで入線し、その後編成替えをした際などに、中間封じ込め車が先頭に出る場合ことがあったと思われますが、その際も入れ替えのみのはずです。
失礼いたします。
すぎたまさん
返信削除はじめまして。
自分も封じ込め車が実際に走行した場面は見ていませんのでおっしゃる通りなのでしょうね。
コメントありがとうございます。