さよなら運転の模様はこちら⇒小田急のロクサン、1800系さよなら運転
秩父鉄道には小田急から全車22両が譲渡されましたが、1編成2両は部品取り車として譲受しており、竣功したのは10編成20両でした。
秩父仕様への改造は自社・熊谷工場で行われました。
小田急好きの友人から誘われて、改造中の1800系を見に熊谷工場を訪問しました。
デハ1808 79.1.23 熊谷工場 |
工場内で改造工事中のデハ1808。
友人の話では小田急時代に既に基本先頭に出る車両と中間に入る車両が区別されていたとのことで、中間に入る車両は正面貫通扉が原型のままで中々その姿は見れないのが今回見れるというのが訪問したい理由だったようです。
確かに貫通扉の窓の大きさは小さく、方向幕も完全埋込みではなく飛び出しています。
クハ1858 79.1.23 熊谷工場 |
こちらは相方、クハ1858の妻面。
妻面はロクサンの面影がありません。
クハ1857 79.1.23 熊谷工場 |
工場の外で改造待ちのクハ1857。
こちらも晩年は中間に挟まれていた車両です。
庫内では、デハ1808の台車が整備中でした。
ロクサンの台車がトラックブレーキ、ダンパ付にまで改造されて生き延びたのは幸せでしょう。
同じくダンパー部分。
ロクサン譲りの吊り掛けモーター。
次回は竣功後の様子です。
あのロクサンをよくここまで手を加えたと思います。今なら10連を2本作って簡単に置き換えられそうだけど、当時は数少ない20m車という存在価値があったのですね。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除そうですね。
小世帯なうえに、他系列との連結も4000系との競合脱線以来無しで単独運用でしたし、運用上は面倒であったでしょうね。
毎度重箱の隅を突くようですみませんが、小田急1800系の一部は名鉄を経てやってきたので第三の人生といったところでしょうか。(笑)
返信削除他社を含めて私鉄のロクサンは車体載替時に正面貫通扉付になり、非貫通の車体載替だった国鉄とは違っていますね。
ところで、小田急1800系の特徴として開閉可能な客窓までHゴム支持だった点が有ります。
同じ東急車両製の鹿島鉄道キハ430形(元加越能鉄道キハ120形)も開閉可能な客窓までHゴム支持でした。
三等急電さん
返信削除一部の1800系は名鉄で持て余して小田急と東武線に売却されました。この時代はこういう融通を効かせないといけない時代だったのでしょうね。
私鉄割当のロクサンは車体載せ替え前に既に3段窓で無くなっていたのも示唆的ですね。
はじめまして。
返信削除私は、何度か秩父鉄道へ譲渡された後の旧小田急1800形→秩父鉄道800形に乗車させていただいたことがありますが、プロパーの新性能車500形が減速・停車時に「シャー」という音がしていたのに、800形ではそのような音が聞かれなかったような記憶があります。
800形全廃後に、武州荒木駅付近の幼稚園で利用されていたクハ859(現存せず)の台車を観察してみたところ、レジンシューになっていたのに気づきました。恐らく、小田急時代に台車の大改造が行われた際に、鋳鉄制輪子をやめてレジンシューに交換し、それが秩父鉄道でも継続されていたのではないかと思われます。
しかし、なぜ鋳鉄制輪子に交換しなかったのか、今でも謎です。旧国鉄101系の1000系でさえも、デハは後年鋳鉄制輪子に交換していましたので。
私からは以上です。