世田谷線が未だ緑の電車であった頃は、雪が降った時もよく訪れた路線です。
先日の世田谷線もやもやをした時(こちら⇒世田谷線もやもや)にも『この辺りで雪の中撮ったなぁ~』なんて思いながら散歩をしました。
そこで、世田谷線がまだ『たまでん』の名残を残していた時代の雪景色を集めてみました。
デハ83 87.3.8 山下ー松原 |
そんな世田谷線の中でも一番のお気に入りの場所は山下付近です。
不思議な場所にある模型店は無くなって久しいですが、この駅付近には今も昔もお気に入りのレストランや喫茶店があるので、ちょっと疲れた時にこの辺りに来てそんなお店に立ち寄ったり、街の風景を見ると癒されたりするものでした。
そして、こちらは28年前のその山下付近の風景です。
雪晴れのサミットをゆく80形電車。
デハ84 87.3.8 山下 |
山下駅は進入する電車を撮るのには好都合な駅でした。
木製のホーム上屋も今は懐かしいです。
80形電車は私の御贔屓の電車のひとつです。
デハ74 84.1.20 山下ー松原 |
ホーム脇の踏切から撮った下高井戸ゆきの70形。
70形は厳ついお顔の時代は良かったのですが、更新でなんちゃって80形になって魅力半減、更に追い打ちをかけるようなヘッドライト改造をこの後に受けて、最後は悲しいお姿に化けました。
デハ73 84.1.20 山下 |
宮の坂から山下への下り坂をやって来た70形。
トロリー線が詰まった感じが気に入りました。
デハ71 84.1.30 下高井戸ー松原 |
1984年は個人的には大学卒業の年で、結構バタバタしましたが雪の多い年でした。
少なくとも記憶では10回以上の降雪があった気がします。
そして、北側道路には雪国の根雪のように一か月以上雪が残っていました。
上の1月20日の写真から10日後の30日にもかなりの降雪がありました。
デハ72 84.1.20 下高井戸ー松原 |
雪まみれになってやって来た70形。
デハ152 84.1.30 下高井戸ー松原 |
どこか安っぽい150形も雪の中ではそれなりに見えます。
デハ153 84.1.30 下高井戸ー松原 |
東京らしい湿った雪がへばりつくように降る日でした。
デハ83 84.1.30 若林 |
若林へと下って来るデハ83。
デハ84 84.1.30 若林 |
若林駅に到着です。
こういう時に世田谷線の乗降方式は結構手間のかかるものでした。
デハ84とデハ71 84.1.30 若林 |
環七通りを挟んで離合する電車。
デハ72 84.1.30 若林 |
寒さに震えながら撮った70形。
それでも、普段とは違う表情の雪姿の世田谷線を撮るのに夢中でした。
デハ84 84.1.30 若林 |
若林駅を出発する80形。
電車から降りてきた乗客と雪を踏みしめて歩く人を絡めて狙ってみました。
個人的には結構お気に入りのカットが撮れました。
雪は相変わらず降り続け、この写真を最後に帰宅しました。
雪の玉電と言うと、改造しつくされた末期の80形の最終日が雪だった事を思い出しました。
返信削除雪の中、上町の車庫で撮影し、帰り宮の坂の駅の階段で滑って転んだ事を思い出しました。
話は変わりますが、来週の金曜日で近江鉄道から吊り掛け式の220形の定期運転が全て終了するようですね。
宵闇さん
返信削除そう言えば最終日のそんな画像を見たことがある気がします。
最後の姿はいただけ無かったです。
雪で転ぶと結構後まで体に痛みが残ったりしますよね。
近江の変な吊り掛け電車の代替は両運車ではないのですかね。
おはようございます!
返信削除またまたすばらしいお写真の連続!
手持ちのカツミキットを組みたくなりました!
・・・でも、アレ、ヘッドライトがっ(くそばく)!
84年はぼくもタマキン大学卒業の年でした。
そんなに雪でしたっけ。。。
写真もなにも残ってないので記憶にない、記憶にないということはオレの人生がなかったことに!
人生のレイアウトにそもそも失敗しています(おおくそかくばく)・・・・・
意外なところに意外にわんわんどの
返信削除おはようございます〜
雪のたまでん、意外なことに結構撮ってました。
雪のようなシーンには小さな電車がニハフですー。
かつて玉電沿線に住んでいた私としては、世田谷線を”たまでん”といわれるととても違和感がありますが・・・。
返信削除と、それはさておき、世田谷線での旧型車は結局まじめに走行写真は撮らずに終わりました。あくまでも走行写真ですよ。三軒茶屋では70形の床下を覗き込んで資料写真を撮りました。周りの目を気にして降車側だけでしたが。今なら乗車側のホームからでも撮っているでしょう。この資料は役立つ時が来るのでしょうか?
「玉電」の70型は、大改造で「80型もどき」の4枚窓になったときには、全く別の車両になったかと驚いたものです。その後足回りを取り替えられて吊り掛けでもなくなって、余り魅力がない車両になってしまいました。そんな小手先の改造を繰り返すくらいなら、他の車両も含めてなぜエアコン完備の新車に早く総取替えしないのか、といらだったものでした。
返信削除>近江鉄道から吊り掛け式の220形の定期運転が全て終了するようですね
「えちぜん」に続いて、世田谷とは「井伊家つながり」の近江からもついに吊り掛け車両が引退ですか…。後釜はやはり西武から、ひょっとして101系を近江の「お家芸」で両運に改造? 朝のラッシュのみ動いているらしい、という遠鉄の30型もどうなるのでしょうか? これも消えるとなると、「吊り掛けの音」が聞こえるのは路面電車やそれに近い「低速」の電車と、まだJRFにも残っているらしいELくらいということになるのでしょうか?
雪の『たまでん』、貴重な記録を残していますね。
返信削除そういえば、1984年は雪が多かったことを思い出しました。
1月に降り始めた雪は、晴れても寒く影の長い時期で雪がなかなか融けず、そこへ降り積もるということを繰り返していました。
路地や歩道は残った雪がカチカチになり、歩きにくかったことを思い出します。
記憶が確かなこの半世紀中では、最も雪が多かった気がします。
世田谷線が未だ玉電だった頃、入院した祖母の面会に行く母に連れらえて何度か乗ったことがありました。
その頃の印象が強かったためか、グリーン一色化、70形の更新、ヘッドライト改造と次第に魅力を失っていく世田谷線には足が遠のいていました。
ツートンが復活した末期に訪ねましたが、最終日は出勤になってしまい職場から降る雪を眺めていました。
pleidaisさん
返信削除『たまでん』はイメージですので、人によって感覚は違うでしょうね。
私的には敢えて今回はたまでん、にしました。
伊豆之国さん
返信削除70形のスタイル変遷はめまぐるしかったですね。
そして改造される程魅力が減って行ったと感じるのも同感であります。
改造も結構な手間でしょうから、もっと早く抜本対策をしても良さそうな気がします。
吊り掛け電車もあと僅かになっちゃいましたね。
元・いきもの部長さん
返信削除1984年は本当によく雪が降った気がします。
道路の雪がカチカチの氷状態になって自転車で走るのが怖かった記憶があります。
この頃を境に世田谷線の電車もだんだん変な格好に変わっていって魅力が減りました。
玉電が消えた昭和44年の春も大雪でした。
返信削除たまでんの電車が消えた昭和59年も雪が結構降った年でしたね。何か因縁のようなものを感じますが。
私は撮りに行きませんでしたが、愚息が復活色も含めて記録を残してくれました。
失礼しました。80形が消えたのは昭和59年でなくて、平成13年でした。
返信削除84年の冬、京浜地区はなんども大雪が降りましたね。よく覚えてます。ちょうどEF58荷物列車の最終時期でよく写真を撮りました。SGの煙をなびかせて共に疾走する姿を昨日のように思い出します。僕は受験前、高校2年の冬でした
返信削除世田谷区の土木事務所に勤務して初めての冬。
返信削除こりゃエライ仕事を選んでしまったのではないか・・・(汗)
とよく覚えております。
工事は遅れちゃうし、毎日雪かきの陳情の連続。。。最後は凍結して、ハンドブレーカー使って叩き割ってました。
pleidaisさん
返信削除以前は雪の量が東京でも多かったですね。
息子さんも鉄好きなんですね。
道草人生さん
返信削除そういえば、ゴハチの引退もこの頃でしたね。
このたまでんのネガの前後にも山手貨物線を走る荷物列車の写真がありました。
SGを吐きながら走る列車は印象的でしたね。
赤影さん
返信削除年度末は工事が多かったから、降雪はダメージになるでしょうね。
ツルハシで氷化した雪を割っている光景を見かけました。