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2015年3月3日火曜日

1985年3月  部分廃止前夜 ・ 雪の蒲原鉄道

この間お正月と思っていたら、もう3月になりましたね。
時が過ぎるのが早いです!

歳を取るほど時間が速く過ぎると感じると言う感覚はジャーネの法則と言われるようです。
以下はウィキペディアから。
『ジャネーの法則(ジャネーのほうそく)は、19世紀のフランス哲学者ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネの著書において紹介された法則。主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に説明した。
簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)。』
だそうです。

さて、時は1985年3月、まだ雪深い蒲原鉄道で古参のモハ11形の二両編成が走りました。
いよいよ加茂から村松までの閑散区間に終止符を打つ日が迫っていました。


モハ81 85.3.2 五泉


雪の五泉駅で磐越西線から見た蒲原鉄道の電車。
この日は磐越西線の客車列車撮影に一日を費やし、村松で宿泊して翌日に蒲原鉄道訪問という行程でした。
この電車に乗り換えて目的地を目指します。

モハ11 85.3.3 大蒲原

翌日は目的の電車を撮影に、村松から大蒲原へ移動します。
モハ11を駅の構内から見送ります。


モハ31 85.3.3 大蒲原ー高松


雪原の中を単行の電車がコトコト往く風景もあと一ヶ月で見納めです。

モハ11+モハ12 85.3.3 大蒲原ー高松

雪の中二連。
電化時からの古豪電車が手を繋いで雪原を走ります。


モハ11+モハ12 85.3.3 大蒲原ー高松


折角の2連ですので、頑張って雪中行軍をして山から俯瞰してみました。
再び雪が降り出し、幻想的な風景となりました。

モハ11+モハ12 85.3.3 土倉ー高松

場所を土倉付近に移動します。

雪原を往く小さな電車。


モハ11+モハ12 85.3.3 土倉

土倉駅を出てゆく小さな電車。
普段では見られない、特別な一日でした。

モハ11 85.3.3 土倉

雪の中を結構粘って撮りました。


モハ12 85.3.3 冬鳥越ー七谷

最後は冬鳥越付近のカーブを俯瞰してみました。
雪が解けるころはこの電車ともお別れです。

モハ11車内 85.3.3 寺田

帰りの電車は折角なので、一番の古株かつワンマン改造もされていないモハ11に乗車しました。
モハ11形は直接制御の電車です。
なので、二両編成になると運転手が二両それぞれに乗り込んで合図をしながらの協調運転をしなければなりません。
後の車両の運転手は加速時は仕事がありますが、ノッチオフすると後はやることがありません。
このシーンもノッチオフ後の時間を持て余しているところです。
今となっては信じられない運転風景ですが、昔は全国的に見られたものでした。


この訪問から一か月後の4月1日付で村松 - 加茂間17・7kmは廃止され、蒲原鉄道は当初の開業区間の五泉 - 村松間のみの営業に縮小さました。

13 件のコメント:

わんわんじゃーね さんのコメント...

うわー
すばらしいお写真!
やっぱりこの電車、この風景がおっちゃんのテツドー趣味の原点なんでしょうかっ!
じゃ~ね~

Mじゃーね さんのコメント...

こんにちはー
記事3行目を読ませていただいた時点で
上のおっさんのコメントを予測したらやっぱり(核爆)

ほんと愛情伝わるすばらしい写真です。感動しましたー

宵闇 さんのコメント...

こんな数年前の銚子電鉄みたいな事をやっていたのですね。

山あいを行く旧形電車。こんな田舎の元風景がもう日本から見られないと思うとすごい寂しさを感じさせますね。

今日は阪急から吊り掛け電車が消えて30年でもありますね。

chitetsu さんのコメント...

わんわんじゃーねどの
想定されたリアクション、ありがとうございます!
そうですね、この辺りがちてつの原点かもしれません。

chitetsu さんのコメント...

Mじゃーねさん
反応、ありがとうございます!
最初見た時、『Mじゃね?』と見えちゃいました^o^。

chitetsu さんのコメント...

宵闇さん
直接制御電車の協調運転、実は体験したのはこの時が最初で最後でした。
こんな小さい電車なのでぶら下がっても大丈夫な気もしますが、逆にぶら下がれないほど非力だったのかもしれません。
阪急から吊り掛け電車消えて30年ですか!
時の流れは速いですね。

Cedar さんのコメント...

ダイレクト電車の重連は、京福福井で体験しました。ホイッスルの合図で力行すると前後にガックンガックン揺れながら加速したのは印象的でした。

chitetsu さんのコメント...

Cedarさん
そうですね、がっくんがっくんしながら加速する、正にそんな感じの中々息が合わない加速感が独特でした。

三等急電 さんのコメント...

モハ11形の二両編成が走ったことがあったんですね。
写真を拝見すると、この目で見てみたかったという思いが募ります。
直接制御電車の協調運転は、10年以上前の元旦に銚子電鉄の初日の出輸送で見かけました。
以前にも書いたような気がしますが、元鶴臨のデハ301は扉の開閉も他の車輛と連動せずに運転手が操作していました。
とても21世紀とは思えない光景でした。

chitetsu さんのコメント...

元・いきもの部長さん
天候には恵まれなかったですが、二度と見れないと思って訪問しました。
直接制御の協調運転は独特のギクシャクがあって、良い経験になりました。

chitetsu さんのコメント...

原口さん
すみません、また誤操作してコメント消しちゃいました。
ipadから操作すると、一瞬削除タグを触っただけで消えちゃうので怖いです~。

コメント内容は
モハ81が戦後製にも拘らず乗務員扉が運転席側にしかないは変わっているな、そのスタイルがすたれたのは車掌さんのドア操作に支障をきたすためでしょう。
恐らく旧型国電の片隅運転台の車両も先頭に立たなくなったのも似た理由があったのでは、という内容でした。

蒲原のモハ81はあのスタイルの割にはあまり性能のよろしくない電車を輩出した日本鉄道自動車製ですので、どこか一般的な設計とは異なる部分があったのでは?と思います。
片隅運転台の旧型国電が先頭に出なくなったのは恐らく乗務員からの苦情があってのことなのではないでしょうか?

katsu さんのコメント...

ipadとiPhon モバイルフル活用ですか、凄いですね。BloggerはiPhonから投稿するコメント文の補正が厄介ですね。

chitetsu さんのコメント...

katsu さん
お元気でしょうか?
モバイル機器は便利ですが、ちょっと間違って触るとそれっき復元できないことがあって怖い部分もありますね。