2015年2月5日木曜日

蒲原鉄道 狭口から七谷・大蒲原へ

大学を卒業してもうじき社会人になろうとする3月の終わりに蒲原鉄道を訪問しました。
この時のコースは115系の夜行の確か長岡行に乗り、早朝の小千谷で下車、対岸の西小千谷まで歩いて余命幾許もないと言われる魚沼線に乗車して来迎寺、加茂経由で狭口を目指しました。

84.3.22 狭口

下車した駅は狭口駅。
狭口は「狭い口」から「入る」で、一時期入場券が話題を呼びました。
質素な待合室には絵馬などが飾られていました。


モハ41 84.3.22 狭口


狭口に進入する電車。
この場所にはほぼ一年後にも訪問し、その時にはこの電車の後ろに見える山の白くなっているところに登ってみました。
それが次の画像です。

モハ31 85.3.2 狭口ー七谷


狭口駅を遠方に見て対岸から俯瞰してみました。
画面右カーブした先が狭口駅になります。
右手が七谷方向です。

モハ12 84.3.22 狭口ー七谷

上の写真の右手に行くと、川に寄り沿って走ります。
これは上の写真を撮った約一年前の訪問時です。
降りしきる雪の中、加茂に向かうモハ12。

モハ12 85.3.2 高松

切り通しを行く。

モハ31 85.3.2 高松


高松駅付近の様子を小高い山に登って撮ります。

モハ12 85.3.2 高松

高松駅に進入するモハ12。
上の写真はこの電車の後ろの白い部分から撮ったものです。

モハ12 85.3.2 高松

こちらは高松から乗ったモハ12の車内です。
大きなマスコンを備えた典型的な昭和初期の直接制御電車です。


モハ31 84.3.22 土倉

夕闇に包まれた土倉駅に進入するモハ31。

8 件のコメント:

  1. こんにちわー
    心洗われる画像の数々
    俯瞰のための雪山登りもさぞかしたいへんだったことと思います。おそれいります
    しかしchitetsuさんタフですね

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  2. 青春Mさん
    ありがとうございます。
    山登りは余り得意ではないのですが、この時ばかりは登って見ました。
    途中で杖代わりに使った三脚が折れちゃったのは内緒の話です〜。

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  3. 最後のカット、素晴らしいです。僕も雪明かりの駅で、進入してくる列車の明かりがとても待ち遠しかった記憶があります。残念ながら北越の電車は見に行かなかったのですが、このカットを見ていると今にも進入してくる電車の音が聞こえてきそうです。

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  4. 口の悪い連中には「バンカラ鉄道」なんて呼ばれていました。
    115系の夜行長岡行、蒲原行きの際にお世話になりました。
    何度か出かけましたが動く直接制御電車には出会えませんでした。
    羨ましいです。

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  5. 道草人生さん
    コメント、ありがとうございます。
    夕暮れの土倉、寒かったですがやって来る電車の風景は印象的でした。

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  6. 元・いきもの部長さん
    長岡夜行は結構お世話になりました。
    でもセミクロスの夜行列車はちょっとしんどかったですね。
    最後尾のクハに乗ると後ろに繋がっているクモニの吊り掛け音が聞こえて楽しかったです。

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  7.  加茂側廃止前の蒲原鉄道の電車は1形式に2両いたモハ11, 12と一足先に廃車になったモハ21以外はモハ31から91までずらりと並んでいたことで有名でしたが。これらの車が撮影される頻度はばらつきが大きいように感じます。
     加茂線の廃止前の写真はこれまでにも見ることがあったのですが、撮影される車両は加茂線廃止後にも残ったモハ31, 41, 61, 71が多く、他、モハ11, 12を見る機会が多いのですが、モハ51、元越後交通のモハ81、元山形交通三山線のモハ91の写真が異様に少ないです。モハ81, 91は昭和50年代に入ってから蒲原鉄道に来た車でしたが、蒲原鉄道の状況にあまり適合していなかったのか、この時期の写真撮影の機会の頻度がそのまま車両の使いやすさ、部分廃止後に残る車両の選択に直結したように感じます。

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  8. 原口さん
    ワンマン運転に移行後は運転される車輌は限定的になっていました。
    モハ81と91は扉配置上ワンマン化対象外になったのでしょうが、それがそのまま路線短縮時の運命を分けたのでしょうね。

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