2015年2月11日水曜日

25年前の今日・・・能登半島の旅

あ、チャンネルはそのままっ!! 

よければ電車命さんも・・・

ミテネ ♪

今日は建国記念の日、お休みですね。
25年前の今日は友人と能登半島の七尾に宿泊していました。
目的は電車命Chitetsuらしからぬ、『汽車』。

C57 1+C56 160 91.2.11 能登鹿島ー西岸

記憶は薄れていますが、1991年の建国記念の日前後は連休になって、汽車重連の客車列車がこの七尾線を走りました。
汽車好き友人とどんな話になったのか、この列車を撮りに行こう、ということになりました。
独身の自由な身であったこの頃は、思い立ったが吉日で良く出かけたものです。
当時友人は九州在住。
私は東京から。
それぞれ列車を乗り継いで富山で落ち合いました。
その後、富山地鉄を見た後にレンタカーで能登半島に向かいました。

C57 1+C56 160 91.2.11 能登鹿島ー西岸

目的の汽車、キタッ~!

C57 1+C56 160 91.2.11 能登鹿島ー西岸

線路際にもいっぱいご同業がいらいしゃいます。
これを見ている貴殿も居ませんか?

C57 1+C56 160 91.2.11 能登鹿島ー西岸

パチパチ。

91.2.11 能登鹿島ー西岸

この列車の露払いでやって来たキハ58系。
待っている人のいったい何人がカメラを向けたのでしょう?
当時のキハ58はそのぐらい、ありきたりの存在でした。

91.2.10 波並ー藤波

この時は汽車の空き時間を使って冬の能登半島を一周しました。
一応、のと鉄道線も撮ってみました。
寂しげな冬の漁港町の風情が演歌的で、印象に残りました。

91.2.10 三波

沿線にはこんな渋い郵便局も健在でした。
この郵便局は後に日本郵便のポスターになって一躍有名になりました。
ポスターになったときは見たことがあるような、無いような?と最初は記憶と一致しなかったのでした。

91.2.11 甲

甲駅の風情です。
いかにもローカル線、な雰囲気が良いです。
郵便車が保管されていたのは知らずに訪れて、ちょっとビックリしました。

91.2.11 北鉄金沢

二泊三日で訪れた能登半島の旅、金沢でレンタカーを返して終了です。
突然訪れて入った旅館での蟹料理が美味しかったことや、寒々しい能登半島の集落など、汽車よりもそんな風景が印象に残る旅となりました。

そして、その旅行の最後に北鉄線を覗いてみました。

クハ1212 91.2.11 北鉄金沢

金沢駅で昼寝をしていたクハ1212。
今や地下化で当時の片鱗もありません。

91.2.11 金沢

高架化工事たけなわだった金沢駅。
昨年見た金沢駅はこちら⇒金沢へ
金沢駅ではこのカットしか撮っていません。
バンバン走っていた国鉄形特急電車や急行電車は一枚も撮っていません。
ここでもまた勿体ないことをしています~。

金沢からは友人と東西それぞれ別方向の特急電車に乗って日常に戻るのでありました。

あと一か月でこの金沢にも新幹線が来ますね。
この週末はそんな金沢にちょっとだけ行ってみようと予定をしています。

6 件のコメント:

  1. 北鉄地上駅と1212、いいですね。
    小生、数年前にふと北鉄に乗りたくなり出かけましたが、地下駅&井のケツ3000ではゲンナリ。それでも内灘まで行ってきましたが、T急7000で鶴来まで行く気になれず、駅ビル内、黒百合という店で、金沢おでん、がんどう(ブリの若衆)刺身と地酒で沈没。
    貴兄やkatsu氏のブログを見ながら、家で飲んでいた方が有意義と痛感いたしました。
    これからも素晴らしい画像を期待しています。

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  2. シグ鉄さん
    金沢の駅前から出ていた時代の金沢駅は大変にこじんまりとした駅でした。
    地下駅は長電の長野駅もそうですが、詰まらないですね。
    引き続き、ブログおつきあいください。

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  3. ああああ嗚呼〜どっかで見たような・・・
    お召しあがりになられたんですね、実はワタシも41年前の今日、おとなりの能登中島まで行きまして、今度のネタはそれにしようかなと考えてたんですよー。
    でもいつもその他の情景もいろいろ撮られてますね。列車しか撮らなかったワタシはそのあたりも後悔のタネです嗚呼

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  4. 青春Mさん
    こんばんは〜。
    バッチリ頂戴させていただきました嗚呼ああ!
    41年前ですか。
    それはホンマモンの汽車ですね!
    記事アップ楽しみにしてます〜。
    最近は何したか直ぐに忘れるんで、イロイロ撮っておくようにしています。

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  5. 私が始めて能登半島を旅したのは、もう40年も前の高校生時代、夏休みの家族旅行。金沢からディーゼル急行で珠洲市へ。輪島行きと合わせて8両の長大編成で出発、車内にはエアコンもまだなく、窓から吹き込む潮風の涼しさは心地よいものでした。当時運行されていた「ふるさと列車・奥能登」という臨時SL列車を宿の最寄の駅(見に行ったこと(多分「鵜飼」)、恋路海岸で海水浴をしたことを覚えています。
    最後に能登半島を訪れたのは、これももう20年も前。初日に泊まったの和倉温泉。かの豪華大規模ホテルではなく、街中の小さな宿(今も健在だそうです)でしたが、家庭的なサービスが行き届いていて、こうした「隠れ家」のような宿に泊まるのもまた風情があってよいものだと思ったのでした。最後に泊まったのは、これまた超有名な「ランプの宿」。葉書で申し込んで当たったのですが、何でも稼働率が99%だとかで、後になってみて「よく当たったものだなぁ~」と妙に感心したのでした。
    このときの道中では、輪島の朝市も見てきたのですが、和倉温泉までは電化されて関西~直通特急も運行されたのに対し、第三セクターになった「奥」のほうは既に寂れ方が目立っていて、急行列車も2両+2両と、前に乗ったときの半分になっていていたのですが、まだその頃には穴水から先がどちらもこんなに早く過去帳入りしてしまうとは予想できませんでした。「鉄」が消えてからは奥能登の人口減少も加速度的になって、今や珠洲市の人口は1万5千人にまで激減しているようです。
    北陸鉄道に乗ったのは、既に2路線だけになって久しくなった、今から14年前。乗った路線は石川線のほうで、新西金沢から当時の終点・加賀一宮まで乗り、白山ひめ神社にお参りしています。北陸鉄道は、加賀方面を訪れる観光客には使いづらくほとんど縁がなさそうな路線で、乗ったときには既に元東横線の7000系に統一されていて、懐かしい車両に出逢った感慨はあったものの、車両そのものの魅力は既にほとんど消えうせてしまっていたのでした。

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  6. 伊豆之国さん
    能登半島の鉄道がこんなに呆気なく無くなるとは思いませんでした。
    輪島まで長編成で走っていたのが信じられませんね。
    ランプの宿、
    私も一度は行ってみたいところの一つです。

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