2015年2月10日火曜日

飯田線  強行日帰り縦断ドライブ

飯田線の旧形国電がいよいよ終焉を迎えようとしていた1983年の5月、大学の友人と親父の車で日帰り飯田線縦断ドライブをしました。

飯田線はご存知のように一時期は単独の路線としては最長電化線区でもあり、全線延長が約196Kmですが、道路の整備が遅々として進まず、旧形電車が走っていた頃は未だ中部山岳区間は並行する道路も整備されておらず、途中区間では大迂回を余儀なくされており、果たして日帰りで縦断できるのかも不安な時代でした。
実際に走ってみると、車一台がギリギリの国道から果てはダート区間さえあるようなルートも含まれていて、結構ハードな日帰り旅となりました。

末期の運用表

こちらは80系が投入されてからの旧形国電が運用された最末期の飯田線電車運用表です。
今回の飯田線訪問時は既に豊橋の80系は先に淘汰されて、それなりの数の列車が119系に置き換えられていました。
何度も訪れた飯田線。
その総集編としてのおさらいを兼ねてのドライブとなりました。

それでは、その時の記録を時系列で追いかけます。
時間については当時の時刻表が見つからなかったので、運用表などから割り出した時間なので、正確ではなく、おおよそのレベルでしかありませんことをお断りしておきます。


6:05 三河東郷ー大海 荷2041M
クハ68420 83.5.22 三河東郷ー大海 

深夜の東名高速を一路豊川へ。
早朝に到着したのはこちらの三河東郷付近です。
ここで下りの始発電車を待ち受けます。

やって来たのは下りの荷2041M。
この列車は豊橋を早朝に出発する飯田線の下りの始発列車です。
見た目は旅客列車ですが、中部天竜までは客扱いなしの荷物電車として運転されます。
中部天竜からは列車番号を245Mに変えて辰野まで全線をロングランする運用です。
初電の時間には早すぎる豊橋発車の下り電車なので、乗客の需要が無いための措置と思われます。

クモニ83102 83.5.22 三河東郷ー大海

振り向いて撮った荷2041M。
水が張られた田んぼに湘南顔が映り込みます。

6:10 三河東郷ー大海 624M
クモハユニ64000 83.5.22 三河東郷ー大海

交換でやって来たのはクモハユニ64先頭の上り一番電車。
最初の列車からクモハユニ64を見れたのは幸先が良いです。


6:20 三河川合ー池場 荷2041M
クハ68420 83.5.22 三河川合ー池場

荷2041Mを追いかけます。
三河川合から池場の間で捉えることができました。


6:35 出馬ー東栄 634M
83.5.22 出馬ー東栄

次は以前から行ってみたかった俯瞰ポイントに向かいます。
まずはやって来たのが新鋭119系。
きっと二度と来ないだろうと思って殊勝にも撮っておきました。
今考えれば撮っておいて良かったと思いますね。
この電車が鬼籍入りするなんて、当時はそんな先のことは考えもしませんでした。


6:45 出馬ー東栄 1221M
クモハ50008 83.5.22 出馬ー東栄

目的の電車がやって来ました。
こちらも嬉しい平妻のクモハ50形先頭で来てくれて大変うれしく思った記憶があります。
1221Mは豊橋を6時前に発車して、辰野着が13時頃という長距離列車です。
このような直行列車は当時は上り6本、下り4本の設定がありました。


8:00 池場ー三河川合 623M
クハ68403 83.5.22 池場ー三河川合

記憶がかなり飛んでいるのですが、次の電車は少し豊橋側に戻って撮っています。
623Mは豊橋発中部天竜ゆきで、クハ68とクモハ54の2連の電車です。


8:30 出馬ー上市場 623M
クハ68403 83.5.22 出馬ー上市場

この列車も追いかけています。
出馬付近の道路からギリギリセーフで捉えました。


9:40 早瀬ー浦川 1222M
83.5.22 早瀬ー浦川


辰野を4時代に発車した上り始発の直行電車を早瀬で迎え撃ちます。
この電車は2連の電車にクモニを繋いだ3連で辰野を発車、途中の飯田で2両を増結して5連で豊橋を目指します。


11:30 温田駅
83.5.22 温田

ここからは道路事情の悪い中部山岳区間をドライブします。
対向車が来ないかドキドキするような道を走って温田を目指します。
途中の温田で休憩。
信南交通の相当古めのバスが駅前にやって来ました。
このバスは日野BT71というバスで、その筋の方には有名なバスでした。
信南交通のバスのその後の訪問記はこちら⇒冬の伊那谷

83.5.22 温田

懐かしいバックビューです。
手前に映り込んでいるのが親父の車です。
当時ジュリーがコマーシャルに出ていた910型ブルーバードSSSでした。


13:40 為栗ー平岡 1226M
83.5.22 為栗ー平岡

水窪から天竜峡までの中部区間は飯田線の中でも過疎区間です。
昼間は3時間近くも列車間隔が空いたりします。
また、当時は道路も水窪から先は線路沿いにまともな道がなく、いったん佐久間まで戻ってから大迂回を余儀なくされていました。
時間的には結構ロスしてしまうものの、折角なのでこの区間でも撮り納めをすることとしました。


16:15 下平ー市田 261M
クハユニ56012 83.5.22 下平ー市田


天竜峡を越えて北部区間に入ったころは既に陽は斜めになる時間となってしまいました。


16:15 下平ー市田 244M
クモハ119-8 83.5.22 下平ー市田


すれ違いでやって来る電車は新鋭119系でした。


17:20 上片桐ー伊那大島 1223M
クハユニ56011 83.5.22 上片桐ー伊那大島


田んぼに影を映しながら上片桐のカーブをゆく1223M。
1223Mはお昼に豊橋を発車して辰野に20時近くに到着するロングラン列車の一つです。
飯田線日帰りドライブの最後はこの電車を追いかけます。


17:40 飯島ー伊那本郷 1223M
クハ68416 83.5.22 飯島ー伊那本郷



クハ68416 83.5.22 飯島ー伊那本郷

1223Mを追いかけます。
こちらは飯島の鉄橋で捉えました。


17:50 田切ー伊那福岡 1223M
クハ68416 83.5.22 田切ー伊那福岡


そして最後は田切のカーブで撮影して終了となりました。
このカットが私の飯田線旧形国電最後のカットとなりました。


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この日は田切での電車を見送った後は撮影をしていません。
まだ初心者マークが取れるかどうかの新米ドライバーにとって、飯田線縦断は流石に疲れたのでしょう。
中央道で東京に戻ったのは深夜近く。
深夜の東京を豊川に向かってからほぼ丸一日車で移動をし続けたことになります。
若かったからこそ出来たかなり強引な飯田線縦断の旅はこうして終了しました。
中央自動車道もこのドライブの半年前に漸く勝沼ー甲府昭和間が開通して全線開通をしたばかり。
今のように新宿駅前から飯田行きのバスが頻発するなんてことが想像できない時代でした。
正に隔世の感がありますね。

6 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2015年2月10日 15:55

    今でも日帰りは結構きついんじゃないですか。なんのかんのいってもこの頃はまだ朝に6連が走っていたはず。今では朝に3連が数本で、あとは全部2連です。

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  2. モハメイドペーパーさん
    そうですね、今じゃ道路が良くなってもこんなことやりたくありません(苦笑)。
    どこでもそうですが、列車の編成は短くなってしまいました。

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  3. こんばんわー
    電車なのに結構クルマで追えるものなんですね。SL貨物なんかはあちこちでバカ停(というらしいスね)してたので次の列車で抜くことも可能だったりしましたが・・。
    それにしてもいい場所ばっかり・・飯田線はchitetsuさんの庭みたいなもんですね。ワタシは行ったことないですが懐かしい気分で見させていただきましたー

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  4. 大変懐かしいです。僕もこの数ヶ月前の冬休みに最初で最後の飯田線旧国撮影に行きました。当時のフィルムは今、手許にないのですが、chitetsu殿の写真を見ていて大垣行きを降りた後、豊橋で停まっていた荷電の姿を初めて見た時の感動を昨日のように思い出しました。今思えば、その時の車輛はクハユニ56でしたが、末期にも関わらずどの車輛もとても綺麗に整備されていた印象が残っています。

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  5. 青春Mさん
    飯田線はご存知の通り私鉄買収線で線形が良く無いことと交換の待ち時間がありますので、ポイントを絞れば何回か追っ掛けが出来ました。
    飯田線ち身延線は結構自分の『青春M』な存在でありました。
    コメントありがとうございました〜。

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  6. 道草人生さん
    コメントありがとうございます。
    大垣夜行で降りた豊橋では一番最初に見るのは荷物電車でしたね。
    当時の幹線駅では早朝に荷物運搬のターレットトラックが大きな音立てて走る回っていたのが印象的でしたね〜。

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