モハ2252 80.10.12 津軽大沢ー新石川 |
今を遡ること35年前のちょうど今頃、家族で東北方面に車で旅行に出掛けました。
私は免許取りたての若葉マーク時代。
どのような経緯でこの旅行話になったのか既に忘れてしまいましたが、家族+おばを含めた4名で一路東北道を北上したのでした。
旅行の目的地は紅葉が始まった八幡平と奥入瀬渓流を見ることにありました。
大学生になった自分が家族での旅行に同意したのには、それなりに魂胆がありました。
奥入瀬と言えば、場所は既に青森県。
青森県と言えば弘南鉄道。
まだ見ぬこの鉄道には、旧形国電や買収国電の電車達が沢山活躍中です。
そこで、前半は家族と大人しく観光をして、途中で下ろしてもらって1人弘前に向かうと言う都合の良い提案をして、了解を取り付けたのであります。
と言うわけで、その時の記録を呼び覚ましつつ旅行記ふうにまとめてみました。
522レ ED75 75 80.10.10 貝田ー越河 |
この旅最初のカットは東北本線の客車列車です。
これは、東北道の国見SAで休憩した時に併走する東北本線の列車を敷地の端っこから撮影したものです。
場所が制限されるのでちょっと苦しい構図ですが、何とか撮ることができました。
522レ 80.10.10 貝田ー越河 |
この当時は東北本線の普通列車は殆んどが客車列車の時代でした。
その後親父と運転を交代しながら八幡平を目指します。
初めての東北道、仙台から先が長いのに大変驚いたものです。
80.10.10 八幡平頂上 |
八幡平観光後は紅葉が始まった奥入瀬渓流に向かっています。
この当時の東北道は未だ全通しておらず、ちょうど数日前の8日に西根まで開通したものの、その先は碇ケ関までの山岳区間は未だ工事中でした。
そこで、未開通区間は花輪線沿いの国道を北上するので、列車を撮るには絶好のチャンスです。
その道すがら、家族には休憩を口実に待たせて併走する花輪線の列車を陸中花輪手前で撮っています。
キハ55197 80.10.11 陸中大里ー陸中花輪 |
キハユニ267 80.10.11 陸中大里ー陸中花輪 |
当時は丁度タラコ化晩年、やってくる列車は色とりどり、裏を返せばグチャグチャの編成でやって来ました。
キハ52146 80.10.11 陸中大里ー陸中花輪 |
晩年になってここ花輪線で国鉄リバイバルカラーを追いかけることになろうとは夢にも思わなかったのでした。
02.2.16 小屋の畑ー赤坂田 |
こちらがそのリバイバルカラー追いかけ時の画像です。
キハ52146 80.10.11 十和田南 |
スイッチバック駅として有名な十和田南駅。
先ほど撮った列車に追い付いたみたいです。
腕木式信号機も懐かしいですね。
花輪線は腕木式信号機が晩年まで残っていたことでも注目されました。
奥入瀬渓流 80.10.11 |
奥入瀬渓流観光後には故意にルートを歪めて小坂を訪問しています。
キハ2106 80.10.11 小坂ー籠谷 |
小坂の街外れでやって来た気動車を撮りました。
11号機関車 80.10.11 小坂 |
ハ1 80.10.11 小坂 |
小坂の駅前には軽便時代の機関車と客車が保存展示されていました。
キハ2106 80.10.11 小坂 |
この頃の小坂は未だ旅客列車もそれなりに走っていて廃止になるような状況は想像出来ませんでした。
キハ2106 80.10.11 小坂 |
気動車も日車の立派な車輌が矍鑠と走っていました。
どんどん傾く秋の陽射しに辛うじて車体部分だけ光線が間に合いました。
キハ2106 80.10.11 小坂ー籠谷 |
キハ2106 80.10.11 小坂ー籠谷 |
小坂の如何にも鉱山街という雰囲気の場所でパチリ。
康楽館 80.10.11 小坂 |
この後、旅館に向かったのでしたが、いったいどこで泊まったのか全く思い出せません。
翌日はいよいよ目的地の弘南鉄道を目指します。
2 件のコメント:
”小坂”という響き、なんとなく良いです。
chitetsuさんのブログがディーゼルの方にもどんどん進出していくのを期待してます。
maru-ha殿
やはり貴殿は『小坂』の響きに反応しましたか〜。
ここの気動車は国鉄のそれより立派な車両でした。
鉱山に絡む鉄道と新製気動車はこの時代を象徴するものでしたね。
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