2014年10月2日木曜日

北勢線今昔

軽便祭で中断してしまった中部・近畿の旅の続編です。

その中部・関西遠征の折に近鉄から三岐鉄道に経営移管された北勢線を表敬訪問しました。
この日の行程全貌はこちら(⇒長~い一日 株主優待きっぷでゆく中部・関西遠征の旅)。

何度か訪問をしたことのある北勢線。
でも実は・・・電車に乗って阿下喜を目指すのは初めてでありました。

14.9.19 西桑名

久しぶりの北勢線・西桑名駅。
前からこんな駅だったかしら?
正直、今の駅風景はご覧の通り詰まらない風景ですが、こんなカットも四半世紀も経ったら結構貴重になっちゃたりして・・・なんて考えてパチリ。

ク143 14.9.19 西桑名

西桑名に到着したク143ほかの4連。
運転手さんは女性で、ビックリ。
ワンマン運転ながら運賃収受などの業務はしない割り切った運転方式でした。
駅も無人駅が多いので、これは信用乗車制度をとっているのでしょうか?

モ274 14.9.19 東員

東員で交換待ちで6分停車。
女性の運転手も交代、フツーのおじさん運転手になってガッカリ。

ク145 14.9.19 東員

しかし、考えてみると近鉄時代に『東員』なんて駅あったっけ???
そんなことを考えているうちに、上り電車がやって来ました。

後で調べたら2005年に六把野駅と北大社駅とを統合し、二つの駅の中間に新設開業したものだそうです。
やっぱり、知らなかった訳です。
でも、そのおかげで、北大社の電車車庫をうっかり見逃してしまいました。



モ143 14.9.19 楚原

楚原でまた、交換待ちで6分停車。
結構交換待ちの時間が長いですね。
これを圧縮するだけでも10分短縮できそうです。
・・・でも、そんなことしたらこんな写真を撮る余裕もなくなるので、気持ち的には微妙ですが・・・。
今のところ三重交通復刻カラーの電車に会えていません。
ここの交換で見れるのがラストチャンスですが、
・・・普通の黄色がやって来ましたorz.....

 14.9.19 阿下喜

約一時間の吊り掛け電車の乗車で終点の阿下喜に到着しました。
駅舎は建て替えられ、以前とは随分と違った雰囲気の駅前風景になっていました。

モ274 14.9.19 阿下喜

阿下喜の駅構内は以前とは随分と変わっていました。
手前にはミニ軽便鉄道資料館があって、今回見てみたかったモニ220形が保存されていました。
この電車を見るのがここまで来た目的でした。

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ここからは昔の近鉄時代の画像編です。
先ずはお目汚し画像からどうぞ。

ク223 80.3.7 西桑名

冬の雨上がり・薄暮という、写真には最悪の条件の西桑名を発車するク223。
この場所で尚且つこんな天気でも撮ったのは、ここでは手前から762mm、1067mm、1435mmの3種類の軌間の線路が併走しているところを撮りたかったためです。


キハ36 6 80.3.7 西桑名

手前の線路が762mmの北勢線の線路です。
2本目からは国鉄の1067mmの線路が並んでいます。
そして、その奥の架線柱のある線路は近鉄名古屋線の1435mmの線路です。

お隣の1067mmの国鉄関西線はこの当時は非電化でした。
キハ36とキハ45の2連が二セット組み合わせた凸凹編成は当時は当たり前の光景でした。


モ2256 80.3.7 西桑名

一番奥1435mm標準軌の近鉄名古屋線をゆく2250系電車。
車内の明かりが暖かそうです。

モ274と阿下喜駅舎
90.8.5 阿下喜

阿下喜駅の風景です。
現在とは駅舎も線路の位置も異なっています。

91.6.28 阿下喜

駅舎の外観です。
沿線の駅舎には大小の差はあれ、共通のデザインが施されていました。
こちらの阿下喜駅舎もなかなか味わいのある駅舎でした。


91.6.28 阿下喜

改札口の風景です。
一昔前までは当たり前であったこのような風景も今や貴重になってきました。
時刻表を見ると、この頃よりも最近は本数も増えているようです。

ク145 90.8.5 阿下喜

こちらは逆光のホーム反対側からの画像です。
ク145とモ274の2両編成です。

90.8.5 阿下喜

阿下喜の駅裏にあった製材所にはこんなトロッコもありました。

ク144 90.8.5 馬道ー西別所

場所は桑名近郊に戻ります。
夕方の列車がコトコトやって来ました。

モ274 90.8.5 馬道ー西別所

今回乗車したモ274の四半世紀前の姿です。
狭い線路は草ぼうぼうです。
今でこそ草ぼうぼうは首都圏でさえ当たり前になっていますが(個人的には信じられませんがっ)、この頃はまだよっぽどのローカル線でないと見れない光景でした。

ク143 91.6.28 麻生田ー上笠田

今回乗った編成の反対側のク143の24年前の姿です。
今回ネガをスキャンするまでこんな塗装の時代があったなんてすっかり忘れていました。

モ276 91.6.28 麻生田ー上笠田

のんびりゆっくり走る北勢線。
時代はそんな電車を許容するゆとりが無くなって来る前夜の姿です。

8 件のコメント:

  1. Chitetsuさんが行かれた1991年頃の
    阿下喜駅は午前11時台の電車が無かったと
    思います。それでも駅員さんがいて
    改札口の横に売店がありました。

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  2. モハメイドペーパー2014年10月2日 10:10

    朝の5連を撮るため桑名で泊まったのは40年くらい昔かな。北大社にはボギーの無蓋貨車がいました。
    電動車だった頃の連接200形は見ただけで、垂直カルダンの乗り心地を体験できなかったのが心残りです。

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  3. 常夜灯さん
    1991年の駅舎内の画像を拡大してみました。
    それを見ると辛うじて一時間に一本の電車はあったようです。
    それでもちゃんと駅員さんがいて、売店が営業していることは今となっては懐かしいことです。
    今よりも確実に時間の流れはゆったりとしていたと思います。

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  4. モハメイドペーパーさん
    自分が見たときの200形は既にトレーラー化されていました。
    北大社には無蓋貨車以外にも懐かしい電気機関車も健在でしたね。

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  5. 前にも書きましたが、北勢線は近鉄時代の30年余り前と、三岐に転換した後の4年前と2度の乗車経験があります。最初のときはもう記憶もほとんど残っていないのですが、4年前に乗ったときは、既にかなりの車両が入れ替わり、冷房車も入り、塗装も三岐カラーに変わっていて、「軽便」の面影もかなり薄れてきているという印象でした。非力ながらも精一杯加速して行く吊り掛けモーターの音は、それなりに味がありましたが…。
    乗ることが叶わなかった、「軽便」時代の三重交通湯の山線のエースとしてデビューした連接車・200型は、故障がちだったらしく、北勢線に転じてからは、結局モーターを抜かれて「ただ引っ張られるだけ」になってしまったのは惜しいことでした。「軽便」としては時代を先取りしすぎた、意欲的な新性能がかえって仇となったのではないでしょうか。それでも、いまだに現役を続けているいうのが凄いところです。故郷の加賀を追われ、落ち延びた先の大井川で同じように「引っ張られるだけの客車代わり」となって不遇の身となった末、悲惨な最期を遂げた北鉄自慢の「ロマンスカー・くたに」のたどった運命と比べて見ると、その明暗は余りにも対照的に思えます…。
    桑名駅の近く、近鉄・JR・北勢とレール幅がそれぞれ違う路線が一堂に会する踏切は、「踏切マニア」の間で広く知られている「珍名所」になっているようです。

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  6. 伊豆之国さん
    三重交通の4401形は軽便としては意欲的な電車でしたね。
    その分、トレーラーになって引っ張れれる存在になったときは残念な感じでしたが、そのトレーラー時代の方が既にずっと長くなってしまいましたね。
    でも現役なのは何よりです。

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  7. この時期、すでに交流モーター車が生駒線すら入線し、名阪甲特急は全てアーバンライナーになった時代なんですけれど、支線は随分変わってしまいました。いまや津から南の各停はワンマンカーがほとんどですから。

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  8. なにわさん
    名古屋線の普通列車に乗ると、一昔前の様子とは随分変わったと実感しますね。
    営業面では色々な苦労がありそうですね。

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