2014年8月23日土曜日

鶴見線のクモハ12見納め紀行

鶴見線のクモハ12形は本線系統が新性能化されてからも、線形の関係から永らく活躍を続けてきましたが、1996年の3月にいよいよ引退することになりました。
ということで、その最後の姿を会社を早退して夕方の電車を見にゆきました。

クモハ12053 96.3.11 浅野

夕方の業務開始の為、弁天橋からの送り込み回送から撮影開始。

クモハ12053 96.3.11 武蔵白石

武蔵白石に移動します。
クモハ12と一緒に御用済みとなるこのホームの活躍もあと少しとなってきました。

クモハ12053 96.3.11 武蔵白石

一般のお客さんと鉄道ヲタが混沌として電車に吸い込まれます。

 96.3.11 大川

黄昏の大川駅です。
実際の状況以上にネガの変色で黄昏てしまっていますが・・・。

クモハ12053 96.3.11 大川

夕方のピストン輸送を撮ります。
既に大川駅のホームは103系3連が入線できるようにホームが延伸されています。


クモハ12053 96.3.11 大川

工場地帯と葡萄色の電車の組み合わせも悪くないな、とこの時思いました。

クモハ12053 96.3.11 大川

車内は結構な混雑です。
現役車両では最後の白熱灯照明を残した車両です。
これでニス塗りなら文句ないのですが、白熱灯のこの車両に限って淡緑色に塗りつぶされていました。

クモハ12053 96.3.11 武蔵白石

パンタ側運転室周りの様子です。

クモハ12053 96.3.11 武蔵白石

葡萄色の旧型国電、これが私にとっては現役の姿の見納めとなりました。

6 件のコメント:

  1. 自分が小学生のとき、この車両が引退する、ということで兄貴がカメラを片手に「乗りに行ってくる!」と意気揚々と出掛けていき、撮って来た写真をみて、なんでこんなオンボロ、追っかけ回すんだろうとおもっておりましたが、なるほど、いまになってこの電車がこんなに魅力的とは思いませんでした。おっしいことしました、、、。

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  2. 大川支線の最終日の最終電車、ファンで殆ど一杯になり一般の乗客が乗れない騒ぎになったのを覚えています。
    今から考えてみると、都心にこんな電車が生き残っていたなんてある意味奇跡ですね。

    昨日は横浜線205系が引退しました。
    これもある意味偶然ですね。

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  3. はたのさん
    小学生頃は普通古いものには興味無いもんですよね。
    後になって良さに気づくのは残念ながらいっぱいありますね。

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  4. 宵闇さん
    最終的に大川支線封じ込めに戻りましたが、一時鶴見線の減量ダイヤで鶴見まで昼間単行で走っている時代がありました。
    その時は時ならぬ単行電車に大混雑で、押し合いへし合いになったことを思い出しました。
    昨日の205系の引退・・・
    そんな時代になったのですね。
    愚息が興奮して横浜線に見に行って来てました。

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  5. 「大川線」の単行17m国電は、一度乗りに行ったことがありますが、工場ばかりで駅前に店一つない、荒涼とした風景には不安に駆られたものでした。この形式の車両は、南武線が73系の天下だった頃、なぜか増結車両として連結されて運行していたことがあり、実際に乗り合わせた記憶があります。隅っこの1人掛けロングシート?があったのが不思議でした。
    大川線が今のような運転形態になったのは、武蔵白石駅のホームを延ばす余裕がなくてやむを得ず素通りせざるを得なかったらしいです。鶴見線の利用状況から見て、節電対策を兼ねて、「本体」を含めて平日の朝夕以外は送電を止め、1両のレールバスにして、その代わり本数を増やしたら…と思ったこともあったのですが、「くりでん」とか「名鉄三河海線・山線」などの悲惨な最期を思うと、それはやっぱりやめたほうがいいかな?。貨物のほうはまだまだ需要は多いでしょうが…。

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  6. 伊豆之国さん
    大川は工場以外何も無いところで、夕方とかは寂しい感じしますね。
    クモハ12は南武線の付属編成にたまに充当されていたようですね。
    私が見た時は南武支線の2両編成でした。
    鶴見線は輸送に偏りが激しいので、営業的には悩ましいところでしょうね。

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