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2014年8月1日金曜日

祝!!!100万アクセス記念・100に因む車両 西編

祝!100万アクセス記念企画、『100』に纏わる車両・私鉄編。

二回目の今日は西編です。

前回も書きましたように、『100』という数字は響きが良いのか、相当数の鉄道事業者で形式として採用されていますので、その数は結構膨大です。
その中で、今回も自分が出会えた範囲内で電車中心にセレクトしてみました。
3セク気動車は省いちゃいました・・・ゴメンナサイ、あんま好きじゃないので。

先ずは伊豆急行からです。
伊豆急行はエリア的には『東』の範疇とも言えますが、全体バランスの都合と伊豆急の監督官署が名古屋であること(車庫を案内していただいた時に、許認可申請に東京じゃなくて名古屋に行くのが結構大変だとお話をされていたのが印象的だったので・・・)から西のトップバッターとしました。
まあ、どうでもいいことですが。

クモハ103 11.12.11 伊豆高原

伊豆急行クモハ100形は開業時に用意された100系電車の両運転台の電車です。
こちらはクモハ100形復活運転のイベントに息子と二人で参加した時のものです。
社長の一声で実現したと言われるこの現役復活、拍手ものですね。


クモハ103 11.12.11 伊豆急下田

このツアーでは伊豆急下田まで楽しく往復できました。
その伊豆急下田では踊り子号と顔合わせをしました。
この時のクモハ103は開業時を再現したヘッドマーク付きで走行していました。

クモハ102 94.11.27 伊豆高原

こちらは現役時代のクモハ102。
まだ非冷房の頃です。
この電車は小学生時代にどこかの出版社から発売になっていた印刷した紙を切り抜くことで模型化できる・・・という何とも原始的なペーパークラフト本に掲載されていて、憧れをもって見ていた電車でした。

クモハ123 94.11.27 伊豆高原

こちらは仲間の片運転台車クモハ110形です。
一部最初に落成したクモハ110形はクハ150形との2連で伊豆急線のPRを兼ねて東急線を試運転したことがありました。
今や越後屋電鉄化したTQでは再現できそうにない・・・どこか夢のある話ですよね。

モハ102 77.5.1 須坂

長野電鉄のモハ100形。
いかにも鋼製車初期の電車らしいいかめしいスタイルをしています。
(こちら⇒惜別 長野電鉄河東線)。
自分的にはこの電車を見たのが地鉄電車の原点になる、実にインパクトのある出会いでした。
赤カエルに追われるまで元気に活躍していました。

モハ101 81.12.27 松本

松本電鉄上高地線のモハ101です。
車番のつけ方も独特で、奇数番号が上高地線、偶数番号は今は無き浅間線に割り振られており、101、103・・・ときて最後は109、1011というちょっと変わったつけ方をしていたのが印象に残っています。
上高地線は全てこの日車標準スタイルの電車に揃えられていたので、趣味的には地味な存在でした。

E101 90.11.17 新金谷

大井川鐡道には電気機関車に『100』が居ました。
蒸気機関車好きからは疎まれる存在なのでしょうが、これは貴重な電気機関車と言えると思います。
私は客車列車を健気に後押しするこの機関車を撮るのの方が好きなヘソマガリでした・・・。
しかしながら西武から電気機関車がやって来たので、この車両もそろそろ年貢の納め時でしょうか?

モ101 92.1.15 武豊

こちらはかなりマイナーな電車です。
知多半島武豊の日本油脂専用線の社員輸送用電車です。
電車自体は西武の小型車を利用したものです(こちら⇒知多半島の保存電車)。


モハ100 77.7.13 近鉄富田

三岐鉄道にもモハ100が居ました(こちら⇒三岐鉄道 一瞬の邂逅)。
こちらの電車は飯田線の前身の豊川鉄道の30形電車を電化時に譲り受けたものです。
この時はこの電車の事をよく知らずに写真を一枚撮ったのみでこの場を離れました。
嗚呼、勿体無い・・・。

関西に移ります。
モハ101 88.12.10 彦根

近江鉄道には岳南鉄道からやって来た日車標準型のモハ100形が居ました。
ワンマン対応のためか、運転台周りの窓配置がいじられています。

モハ101 88.12.10 彦根

スマートな車体に不細工なイコライザー台車の組み合わせのこの電車、岳南で御用済みになったこの電車をまさか近江鉄道がお買い上げになるとは思いませんでした。
このモハ101も地味な存在の電車でした。

クハ101(左)、クハ102(右)
81.8.31 日方

野垂れ死にをした野上電鉄にはクハで100形が居ました。
あの阪神の小型電車群の最後の生き残りでしたが、喫茶店タイプの車両は早々に引退してしまいました。
写真の左側のクハ101は明かり窓がありますが、右側のクハ102にはありません。


モボ101 88.9.11 山ノ内

嵐電の間抜け顔のモボ101。
(こちら⇒味わいのあったモボ
登場時は何だコレは・・・不細工!
と思ったものですが、いまや貴重な存在になって来ました。


116 82.8.31 正雀

関西大手では阪急デイ100は当然エントリーです。
こちらは今でも見られる保存車、116号です。
こちらについては屋根まで登らせて頂いています。
今考えると架線がない場所とはいえ、良くOK出してくれたものだなと思います
その時のお話はこちら(⇒阪急デイ100対面)。

キハ101 83.3.11 別府港

別府鉄道の機械式気動車にも100が居ました。
このスタイルで腰のライトは何とも不似合いです。
その為、この一枚しか写真を撮っていません。

キハ101 81.12.29 加悦

加悦鉄道のキハ101。
貴重な片ボギーの気動車です。
訪問当時はもう客扱いはしていなかったみたいです。

クハ101 81.12.27 秋鹿町

一畑電車のクハ100形はオリジナルのデハ20形とコンビで活躍をしていました。
その姿は魅力的で、行きにくい場所ながらも随分追っかけました。
最後まで手動扉で貫いたのも奇跡的な存在でした(こちら⇒一畑電車のオリジナル電車)。


次は四国です。

100 90.1.13 瓦町

まずは琴電です。
琴電には形式が100じゃないけど100に纏わる車両が結構いました。
一つ目はこちら。
形式は1000形ながら番号はばっちり100です(こちら⇒鉄道コレクション 琴電1000形)。
ほぼ同時期に3000、5000とメーカーを変えての競作状態の発注をした中の1000形電車は、昭和初期の電車としてはなかなかオシャレなデザインの電車でした。


750 81.3.8 平木ー農学部前

二つ目はこちら。
琴電750形です。
『100』じゃ無いじゃないか!とおっしゃるなかれ。

750 81.3.8 平木

750形の出自はちょっと謎めいています。
山形で開業を予定していて頓挫した蔵王高速電鉄が発注した注文流れ品を備南電気鉄道が購入してモハ100形としたという曰くつきのものです。
備南電気鉄道は経営不振から玉野市に身売りされ、その後は内燃化⇒廃止というお決まりのコースを辿っています。
この電車は内燃化時に対岸の琴電に売り飛ばされたという、何とも可哀相な電車でしたが、琴電では大事に使われて天寿を全うしました。


71 81.3.8 瓦町

三つ目はこちら。
台風で橋を流されて廃止になった東濃鉄道のモハ100形を譲り受けたものです。
モハ71は東濃時代のモハ101です。
このモハ100形は実は貴重な電車です。
機関車製造会社の東芝が唯二製造した電車がこのモハ100形2両と言われています。
この電車を東濃鉄道納入後は再び電車の製造はしていないようです。

72 81.3.8 平木

こちらはもう一両のモハ100形です。
こちらはモハ102です。
元来が小型電車なので、ピンチヒッター用途に終始した感じでした。

73 81.3.8 琴電屋島

こちらは全くスタイルの異なる73号。
この電車も東濃鉄道からやって来ました。
東濃時代はモハ103。
さらにその前は国鉄籍クハ100形、そして更にその前は南武鉄道モハ100形と『100』に縁のある電車でした。
この73号は東濃転属組の中で状態が芳しくなかったようで、第一号で引退してしまいました。


モハ101 81.3.6 高浜

伊予鉄道オリジナルの電車、モハ101。
幕板のベンチレーターが特徴的なこと以外はオーソドックスな電車でした。
自前の電車でほぼ賄えた最後の頃の伊予鉄道の風景です。


九州に渡ります。

148 14.7.26 門司港

西鉄には少なくとも二種類の『100形』が同時に存在していました。
こちらは北九州市内線の100形です。
今回の門司港訪問で偶然出会いました(詳しくはこちら⇒嬉しかった西鉄100形との出会い)。

モ101 81.3.2 柳川

こちらは本線の100形です(こちら⇒西日本鉄道 柳川車庫訪問)。
本線系電車としては随分と小柄な電車でした。


コハ103 81.3.2 原万田

三井三池鉄道には電車型スタイルの客車が居ました(こちら⇒三井三池鉄道の電車型客車)。
ロクサンタイプの客車とコンビで使われていました。


モハ101 81.3.3 北熊本

熊本電鉄にもオリジナルの電車で100形が居ました(こちら⇒熊本電鉄訪問)。
なんとも安っぽい田舎くさいデザインのこの電車、類似品が日立電鉄にもいました(こちら⇒日立電鉄日帰り旅)。


キニ101 83.3.6 加世田

最後は鹿児島交通のキハ100形。
国鉄キハ07をリファインしたデザインで、主力車両でありました。
一部のキハ100形気動車は荷物車化改造を受けています。
こちらの101号は改造車の『キニ』。
キハ07をスマートにしたデザインの気動車です。


キハ102 83.3.6 薩周湖ー伊作

バラストも無いようなヘロヘロ線路は既にスピードを出すこともままならず、大きめの車体をユサユサさせながら走り去ってゆきました。


モハ101(左)、モハ116(右)
地鉄電車 浦町

あっ、忘れていました!
弊社にも101号がおりました。

地鉄電車第一号のこの電車もモハ100形・『101』号です。
1980年、大学一年の時の作品です。
最初のほうで紹介した長野電鉄のモハ100形を見たことから、地鉄電車はスタートを切りましたので、この第一号車はその長電をイメージした電車として作りました。

次回は国鉄編です。

12 件のコメント:

101マン匹わんわん さんのコメント...

まだ続くんカー嗚呼嗚呼~~(><!

chitetsu さんのコメント...

101万匹わんわん殿
まだ続くんだよ~ん。

元・いきもの部長 さんのコメント...

伊豆急行クモハ100形ペーパークラフト本とは、
客貨車区当直日誌2010年1月21日 (木)『模型と工作』ペーパー車体の思い出
にあるものでしょうか?

chitetsu さんのコメント...

元・いきもの部長さん
そうです!
これです!
手元には何も残っていないのでどんな表紙の本か思い出せませんでしたが、記憶が蘇ってきました。
子供の頃の自分には宝物のように思えました。
その割にはぞんざいに扱ってしまったようですが・・・・

伊豆之国 さんのコメント...

伊豆急の100型は、幼き頃から親父の故郷への旅で何度もお世話になった思い出深い電車でした。東京駅から伊豆急下田まで、湘南電車の急行で直行したことも多かったのですが、熱海や伊東で降りて道草したり、伊豆稲取の温泉宿に泊まったこともまた多く、下田までのローカルな区間では、100型に乗ることが多かったのでした。当時はまだ急行も含めて「2等車」にはエアコンが無く、夏休みには窓をいっぱいに開けて心地よい海風に当たったのも、あどけない、懐かしい思い出だったのでした。
琴電の1000型には、20年ほど前に乗った記憶がありますが、形式となぜか1桁少ないものが多い番号のつけ方は、実に不思議です。どうしてこういうつけ方をしたのか、どんな理由があったのか、わかる人がいたら教えてもらいたいものですが…。写真にも出ている
71号は、長尾線の平木駅だったか、留置線に廃車同然で雨ざらしになっていたのを見ています。
三池炭鉱の、63系もどき?の通勤客車は、某tubeの動画で見て知りました。先頃亡くなられた親父が三井三池に勤めていたという、その大牟田で幼年時代を過ごした読売監督氏には、この通勤客車の思い出は残っているのでしょうか?

chitetsu さんのコメント...

伊豆之国さん
それぞれの思い出がみなさんきっとあるのでしょうね。
私も伊豆急100形は家族での温泉旅行などでお世話になりました。
琴電の71号は長く雨ざらしになってそのまま解体されると思いきや、復活したのにはびっくりしました。
三井三池の客車はロクサン形客車ともども何故電車型の客車を製造させたのか不思議です。

Cedar さんのコメント...

さすがChitetsuさん!貴重写真のオンパレードで堪能いたしました。
関西大手私鉄には意外に少ない、っていうか既に廃車や更新されていたんですね。

chitetsu さんのコメント...

Cedarさん
ありがとうございます。
関西大手私鉄、調べてみると結構居ないのですね。
古すぎて私にはご縁がなかった車両も多かったですね。

匿名 さんのコメント...

琴電の70、大学時代、先輩が東急3700を切り継いだ仕掛品がジャンク箱にありました。妻に切込みを入れて平面にして72も作りましたが、台車はD16をはかせてました。モーターを入れる気がなかったので、1080と連結して走らせたりしてました。OK18の京急1000は行ってませんけどね。
今は鉄コレの81と一緒に眠っています。

どこか琴電1010、出さないかなあ。

なにわ さんのコメント...

今の書き込みは私です

三等急電 さんのコメント...

すみません、リンクを辿って再びやってきました。
今更ながら気付いた点がありましたので、コメントさせていただきます。
別府鉄道キハ101は、片上時代に液体化・総括制御化されています。
といっても、他に総括制御車のいない別府では宝の持ち腐れでした。
格好の悪い?車体裾の延長改造は別府鉄道で実施されたものです。
加悦鉄道のキハ101は現在も綺麗な状態で保存され、10年くらい前に何と動態復活しました。
昭和37年の荷台付大型キハ51入線後は予備車となり、昭和47年の国鉄客車改造気動車入線後はおそらく休車状態だったでしょうから、よく残したものです。
昭和43年にガソリンからディーゼルに機関変更され、これが我国最後のディーゼル化となりました。
同時期まで残ったガソリン動車には、有名な沼尻鉄道のガソ101と茨城交通湊線のケハ1がいましたが、間もなく姿を消しました。
電車に関係ない話が長くなり、すみません。

chitetsu さんのコメント...

元・いきもの部長さん
遡ってのコメントもCedarさん同様大歓迎です!
キハ101はそんな遅くまでガソリンカーであったとは知りませんでした。
折角の総括制御も別府鉄道では何の役にも立ちませんね。