モハ15 80.11.16 大甕 |
<7.12一部修正かけました>
相模鉄道(今の相模鉄道線ではなく現・JRの相模線部分)が1935年に汽車会社で製造した台形をした当時珍しい電気式ディーゼルカーを電車に改造したものです。
後年の切妻改造されるまでの姿は他の車両では見られない特徴的なものでした。
正面は2段に後退角がついており、それにつられるように側面の乗務員扉まで斜めにカットされたような変形をしております。
そして戦後になって4両揃って電車化改造を受け現在の相鉄線やなんと東急東横線も走っていたそうです。
その後、1947年から48年にかけて日立電鉄に移り、モハ13~16になっています。
日立電鉄で活躍を始めた頃は特徴的な姿のままでしたが、後に切妻に改造されています。
特徴的な姿の時代の姿はこちらで(⇒はーさんのサイト)見られます。
モハ16@ぽんキチ謹製 |
模型での見本はこちら。
やはり、凄まじいスタイルです。
仲間は4両いましたが、それぞれに個性がありました。
間違い探し風に並べてみました。
差がわかりますでしょうか?
二枚とも モハ14 80.11.16 大甕 |
パンタ側が貫通式になっています。
二枚とも モハ15 80.11.16 大甕 |
モハ14とは逆にモハ15は非パンタ側が貫通式になっています。
二枚とも モハ16 80.11.16 大橋 |
モハ14の各部をHゴム改造をしたような姿をしています。
二枚とも モハ13 91.11.23 久慈浜 |
検査中でウマに乗っています。
この電車はモハ16とほぼ同じ形態でした。
サハ2801 80.11.16 大橋ー川中子 |
こちらは仲間で唯一トレーラーのサハ2801。
こちらはモハ13形と同じ系列ですが、製造当初からキサハとして製造されています。
また、その後の動きもモハ13形とは異なり、一緒に日立入りはせず、相鉄時代に台形の車体を普通の車体に改造されています。
4 件のコメント:
僭越ながら、お言葉に甘えて間違い探しをさせていただきました。
先ず、発注元は神中鉄道でなく相模鉄道(現・JR相模線部分)です。
次に、ガソリンカーではなくディーゼルカーです。
続いて、電車化改造は2両が戦時中、2両が終戦後です。
詳しくは、湯口徹氏が「相模鉄道キハ1001~1004」として「DRFC-OB デジタル青信号」に投稿されています。
相模線部分の買収が1944年6月1日、電車化設計変更認可(2両竣功済)が1944年6月18日というのは、当時経営の実権を強盗慶犬氏が握っていたことを考えると微妙な日付です。
湯口徹氏の著書「内燃動車発達史(上巻戦前私鉄編)」に電車に牽かれた相模鉄道台形付随車+東横流線形気動車という写真が掲載されています。(高橋弘氏撮影)
また、東急電車形式集1に元住吉で写した電車化改造後の姿が掲載されています。
元・いきもの部長さんの記事に追記させていただくと、当時としては「ディーゼル」カーが珍しい中でも非常に珍しい「電気式」ディーゼルカーでした。「電気式」であったがゆえに電車化が容易であったともいえます。
元・いきもの部長さん
間違い探し、ありがとうございます~。
相模鉄道と神中鉄道が戦前と戦後で名称が変わったことで混乱思想になりますよね。
また、湯口氏の『内燃動車発達史』によると電気式ディーゼルカーはわが国私鉄では唯一の存在であったと書かれていますね。
この電車が渋谷まで走っていたというのは驚きです。
間違いご指摘頂戴した部分、本文変更しますね。
ありがとうございました。
原口さん
電気式であったことはこの電車にとっては幸運だったのかもしれませんね。
ユニークな経歴の電車でした。
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