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2014年6月3日火曜日

東急3700系電車〜電車の人生もいろいろ

東急の3700系電車は戦後混乱期に製造をされた運輸省規格形電車です。
運輸省規格形電車はご存知のように戦後の混乱期に運輸省主導で定められた規格に合わせての電車の新造しか許されなかった時代の産物で、その功罪は色々な意見があるところです。
どの電車も事業主からすると思いのままに製造できなかったことでの使い勝手の悪さや、製造された時代の工作能力や素材の悪さから後年は概ね継子扱いされて、戦前からのオリジナルの電車よりも先に処分されたケースが多かったような気がします。
そのような規格形電車の中でも、東急の3700系電車は規格形であったことから思わぬ展開が待ち構えていた電車でありました。


デハ3711 79.7.3 不動前

東急の3700系はそのような規格形電車の中では、戦前からのオリジナル電車に比較的類似したものであったので、割合重宝された部類ではないでしょうか。
しかしながら、やはり戦後の質の悪い鋼材を使っていたことから台車の亀裂発生や車体の劣化が早かったようで、早いうちから更新工事を受けることとなりました。

こちらは今や激変した目蒲線不動前の坂道を上るデハ3711。
客用扉が更新されていない3700系は少数派でした。

デハ3713 79.7.3 不動前

こちらはデハ3713。
規格形電車なれど時間がそれぞれの車両に個性を持たせています。
扉やランボードをはじめ細かいところで差異が認められます。

クハ3755 79.7.3 不動前


唯一東急に残ったクハのクハ3755。
この写真のホーム擁壁の勾配標で上の写真の上り坂は40‰であることを初めて知りました。
結構な勾配だったのですね。

クハ3755(左)、デハ3471(右)
79.7.3 不動前


3700系と3450形の離合。


クハ3755 79.11.15 多摩川園

右手は今は無き多摩川園。


デハ3709 79.11.15 大岡山

大岡山付近をゆくデハ3709。
デハ3709と3715には正面に幌が付いていました。
やはり幌が付いていた方がお顔が締まります。
クハは異系列の海坊主です。


デハ3715 80.5.17 大岡山

東急に残ったデハ3700は奇数であったため、一両だけ編成から溢れてしまいました。
溢れたデハ3715は3600系と編成を組んでいました。
3700系、以前は付いていた木製の雨樋が撤去されて情けない姿になってしまいました。

クハ3672 80.5.17 大岡山

上の写真の編成の後ろ姿です。
こちらは焼け電復旧車の車体更新車のクハ3672。

さて、3700系には他の形式にはない思わぬ運命が待ち受けていました。
それはご存知のようにオイルショックで乗客が急増した名鉄に二回に分けて結局は全車が譲渡をされたことです。
理由は規格形電車であったために同じ規格形電車の名鉄3800系と共通の機器、性能を有していたことが一番の原因のようです。
また、大手私鉄同士でのまとまった数の車両の融通は大変珍しいことでありました。

モ3885 79.7.16 堀田

こちらは第一陣で名鉄に行った3880系。
弱め界磁制御ができない分を2M1Tの編成で凌ぎました。
加速は良かったそうですが、高速域は厳しく、急行列車等の優等列車への運用は基本的に避けられたようです。

モ3887 80.8.22 東枇杷島

東枇杷島駅をでてゆく3880系電車。
すっかり名鉄電車の一員になっています。



ク2883 79.7.16 堀田

こちらは制御車クハ3750転じてク2880形となった、ク2883。
改造は最小限に抑えられたようです。



ク2881 80.8.22 犬山
こちらはク2881。
シールドビーム化改造など、その後も手を加えられたようです。


モ3893 83.3.1 東枇杷島

第二次導入分として残りのデハ3700形7両とクハ3750形1両の全てが譲渡されました。
こちらは雨樋撤去の姿で区別が付きます。
モ3893は東急時代のデハ3715です(大岡山の写真参照)。

ク2887 93 83.3.1 東枇杷島

こちらは異端車、ク2887。
この第二次導入のグループは制御車がクハ3755の1両のみであったことから、デハ3700形1両を方向転換、電装解除し・制御車化改造を施工してたク2886と、それでも足らないクハをクハ3671を譲渡して数を合わせたものです。

結果的に3880系は最盛期には3両編成7本・21両の世帯となって活躍、ラッシュ時の犬山線で大活躍をしたとのことです。
結果的に本系列の詰め込み効果がその後の名鉄の3扉ロングシート車の増備を後押しした形となりました。
もともとショートリリーフの身、所定の新型車両の導入に合わせて本系列は早くも導入後6年目から引退が始まり1986年、約12年の活躍に終止符を打ちました。

4 件のコメント:

グハイヌ56 さんのコメント...

ぐはー!
ぐは3750!
なんでこのタイミングで3700けー!?
実はアレからまたグハ3750の梁、炙って取り、元のモハ33のものに作り替えました(糞爆)。
たしかに結局、早まったことをしましたー。
ちーん。

Cedar さんのコメント...

名鉄の中で一番都市型の線区が犬山線でした。その通勤時、急行に使われていたのに乗り合わせました。これがあのTQの出身かと思う力走でした。
やれば出来るじゃん!と満員の車内で思ったものです。
赤い車体にローマン書体のNoもなかなか似合ってました。

chitetsu さんのコメント...

グハイヌ56殿
おっちゃんが3700作っていたので温めていた記事をいじってアップしました。
一番の肝は名鉄電車転身のお話ですがっ。

chitetsu さんのコメント...

Cedarさん
そうです、『やればできるんじゃん』、です!
TQでてれてれ走らされた3700も名鉄行ってからは持てる力精一杯出して走っていたのですから、これが電車からしてみれば本望だったかもしれません。