翌朝は始発の山陽本線の下り電車で宮島口に向かいました。
14.5.3 宮島口 |
始発の電車での宮島口の車船連絡時間は5分。
結構な早足で行かないと間に合いませんが、他のお客さんと共に小走りで向かって何とか乗船できました。
連休後半初日の宮島なので、始発で向かっても連絡船はお客さんでそれなりにいっぱいです。
14.5.3 宮島 |
宮島航路を渡っての宮島は初めての訪問です。
連絡船は広電とJRで競い合っていますが、選択したのはやはり昔から時刻表で馴染みのあるJR航路にしました。
14.5.3 宮島 |
世界遺産・厳島神社。
やはり感動的であります。
ゆっくりと早朝の神社や周辺の街並みも含めて散策。
散策中に潮が満ちてきて例の鳥居が見る見る海中に沈んでゆきました。
その潮の満ちてゆく風景をしばし見とれていました。
潮が引いた時の鳥居の姿と満ちつつある姿双方を見れたのは好都合でした。
そのあたりのレポートは後日の建物ブログのネタにしようと思います。
さて、電車ネタに話題は戻ります。
宮島口への戻り便はのんびりムードですが、すれ違う宮島ゆきは大混雑です。
乗船の長い列にはちょっとびっくりしました。
14.5.3 広電宮島口 |
次の目的地は当然!
広電鉄道線です。
鉄道線は1980年の初訪問以来ご無沙汰、二度目の訪問なうえ宮島口は初めてやって来ました。
1980年の訪問記はこちら(⇒広島電鉄 オリジナル電車の活躍)。
5003B(左)、3903B(右) 14.5.3 広電宮島口 |
駅構内には広島駅直通の電車が並んでお客さんを待っていました。
JRだと広島まで約30分、広電だと約1時間。
広電のアドバンテージは、
①市内直通・運賃が安い
②フリークエンシーが高い
③宮島口のフェリーがちょっと近い
時間だけで見ると勝負にならなさそうで、それを安い運賃をはじめとした上のようなメリットで勝負をすることになるのでしょうね。
JRが商売っ気を出している現在、結構大変なのでは?とちょっと心配になりますが実態はどうなのでしょうか?
余所者にはわかりません。
久しぶりの鉄道線、軌道線車両に乗るのは初めてです。
予想以上に軽快な加速で走りますが、ピッチングが結構激しく腰が痛くなりそうです。
途中駅からはお客さんがどんどん乗車、廿日市を過ぎてからは結構な混雑になってきました。
5001A 14.5.3 鈴峯女子大前ー広電五日市 |
JRの電車から見て狙いをつけていた鈴峯女子大前で下車しました。
駅のホームから広電もJRも撮れて好都合な駅です。
早速やってきたのは5000形グリーンムーバ。
3809A 14.5.3 鈴峯女子大前ー広電五日市 |
広電がどんどん来ます!
こちらは3800形ぐりーんらいなー。
正にインターアーバンですね!
どの電車も結構満員でやって来ます。
連休のせいもあるのでしょうが、さっきの心配は杞憂のようですね。
3904A 14.5.3 鈴峯女子大前ー広電五日市 |
JRも国鉄時代と違って結構来ます。
ぐるーんらいなーと末期色の115系電車。
こんなデッドヒート風光景も撮れました。
因みに私がここに居た9時代1時間の五日市発車の上り電車は・・・
広電
9:02、9:09、9:16、9:23、9:32、9:40、9:48、9:56
の8本。
JR
9:09、9:22、9:30、9:41、9:52
の5本。
JRも結構善戦しています。
そこで、
国鉄時代の時刻表と比較してみました。
手元の1976年3月号を見ると・・・
9:14
この一本だけ!
次の電車は10:18までありません。
随分JRになって変わったものですね。
それだけ広電には脅威になったのではないでしょうか?
中京でもJR化後名鉄が大変だったようですし。
14.5.3 五日市ー新井口 |
117系もどきの115系も元気いっぱい。
単色化の波は岡山地区ほどには進んでいないようで、この117系もどきは大半がこの塗装でした。
14.5.3 五日市ー新井口 |
並行する宮島街道の歩道橋に場所を移動して撮影続行。
またもや117系もどき115系がやって来ました。
14.5.3 五日市ー新井口 |
末期色は4本に1本ぐらいの割合で来る感じです。
3952A 14.5.3 鈴峯女子大前ー広電五日市 |
3703A 14.5.3 鈴峯女子大前ー広電五日市 |
1984年製の3700形。
既に30年選手なのですね
3902A 14.5.3 鈴峯女子大前ー広電五日市 |
こちらは3900形。
色々な連接電車があるものですね。
5010編成 14.5.3 鈴峯女子大前ー広電五日市 |
3908B 14.5.3 鈴峯女子大前ー広電五日市 |
変な色の3900形。
クモハ103-48 14.5.3 五日市ー新井口 |
クハ103-86 14.5.3 五日市ー新井口 |
103系がグリーンムーバを追いかけ・追い越します。
吊り掛け電車は来なかったけど(爆)、楽しいひと時でした。
いやはや、楽しそうですね!
返信削除Cedarが行ったのはグリーンムーバーデビュー前で3900あたりに乗りましたが当時もピッチング、ローリング共に激しかったです。最高速度は70kmくらいでした。
宮島って20年以上行ってませんが、こんなに変わったんでしょうか。当時も連接車しかいませんでしたが、あの頃はまだ3000や3100がいたような気がします。
返信削除最後の1本、1965~66年の製造、おまけに冷風車、どんな思い入れで使ってるんでしょうか。
いい加減、207系を転属させるべきだと思いますが。保安に問題のある運転台向かい合わせで地下を走り、使わぬATS機器が無駄であります。
Cedarさん
返信削除宮島線、楽しかったです。
やはりその頃もピッチングにローリングでしたか。
やはりこのような構造の電車はそうなりやすいのでしょうか?
それとも軌道のせい?
なにわさん
返信削除宮島線は完全に以前とは世界が変わったのでしょう。
途中の駅には未だ鉄道線ホームがそのままの駅が残っていました。
宮島線は如何でしたでしょうか? 乗り心地の悪さ、申し訳ございません…
返信削除低床車はその構造上、揺れ枕バネがなく横揺れには弱いんですよね…軌道も、直線区間はロングレール化してますが、まだまだです(汗)
因みに最高速度は60km/hです。
広電に乗ったのは、もうかれこれ30年も前のこと。そのまた8年前の冬休み、山陽方面へ家族旅行で出かけ、倉敷、尾道、原爆ドーム・平和公園、宮島、錦帯橋と回ってきたのですが、このときは岩国へ行ってから宮島口で降りて乗船し、帰りも国鉄宮島口から広島へ戻ったため、広電には広島駅とホテルの最寄りの電停までの短い期間だけしか乗れませんでした。おっしゃるとおり、当時の国鉄山陽線は本数が少なく、宮島口駅で寒い中を待たされたので、「"市電"に乗ったほうがよっぽど早いよ~」と愚痴も言いたくなったのでした。「リベンジ」はその8年後、今度は気ままな一人旅で広電全線を制覇。もっとも宇品線だったか、夜になって乗ったので景色を見られなかった区間もありましたが…。もちろん宮島も再訪してきました。
返信削除広電沿線の風景と言うと、市内線よりも宮島線のほうが印象が強く、当時の「広電宮島」に近づくにつれて瀬戸内海の景色に見とれていたことを思い出します。毎年1月末頃に行われる都道府県対抗駅伝では、折り返し点がある宮島口の手前、広電とJRの間の道路がコースになっていて、疾走するランナーの横を広電とJRの電車が駆け抜けてゆくシーンは、いつも楽しみにしている風景です。
maronefuさん
返信削除いえいえ、楽しかったです鉄道線の旅!
電車の揺れはやはり低床車の宿命的な部分があるのですね。
速度はもっと出ているように感じたのですが60km/hだったのですね。
以前の訪問時も感じたのですが、乗務員の皆さんが明るく気さくなのが印象に残りました。
伊豆之国さん
返信削除昔の国鉄時代は列車本数が少なかったですね。
東海道本線しかり、関西本線しかりでした。
列車本数が増えて利便性は増しましたが、短編成でどの列車も混み気味なのが気になりますね。
宮島線は今回改めて訪問して海べりを走行する区間が印象的でした。