2013年1月9日水曜日

夜の南武線・浜川崎支線

南武線の尻手⇔浜川崎間の浜川崎支線は、かなり後年まで長らく17M電車が往復しており、可部線が置き換えられた後はまさに『最後の牙城』の様相を呈していました。
浜川崎支線は通常の閑散時一編成が往復、朝晩は二編成が途中の川崎新町で交換しながらの往復運転をしていました。
この運用のためにクモハ11とクハ16が各4両と更にクモハ12も居たわけですから、たまに本線のピンチヒッター運用があるとは言え、随分と効率の悪い運用方法だったと言えます。
そんな浜川崎の支線の夜の風景を鶴見線の最後の72・73系を撮りに行った後に訪れました(鶴見線の最後の夜景風景はこちら⇒鶴見駅の72系電車 )。

クモハ11222 80.1.6 浜川崎
浜川崎で折り返し停車中のクモハ11。
運転手は運転台の中で足を伸ばして休憩中です。
国鉄時代らしい風景です。

クハ16003 80.1.6 浜川崎
反対側のクハ16。
元31系同志の綺麗な編成でした。

クハ16003 80.1.6 浜川崎
駅の脇にあったトイレ(多分・・・)のあたりから見たクハ16。
昼間は雑然とした浜川崎の駅風景も、夜の帳が降りるとそれなりの風景に変化します。


クハ16003 80.1.6 浜川崎
クハ16の車内。
木に包まれた暖かい雰囲気の内装が好きでした。
運転台の仕切りに開き戸以外窓が無いのは、いかにも『国鉄』時代です。


クハ16003 80.1.6 浜川崎
運転台側から貫通路側を見る。
当時は一般的だった扇風機カバーの『ワリコー』の宣伝がやけに懐かしいです。

クハ16003 80.1.6 尻手
もう一方の終点、尻手にて。
静かなホームに貨物列車の音が鳴り響いていました。

クモハ11222 80.1.6 尻手
浜川崎支線の夜の風景はこの一回限りしか撮ることなく終焉を迎えました。


6 件のコメント:

  1. chitetsuさん、こんばんは。

    近くに居ながら、見に行かなかった南武支線。
    何度考えても勿体無いことをしたと自覚してます。
    横浜線では、わざわざ茶色の電車が来るのを待ってる癖にですよ(汗

    扇風機カバーのはワリトー、リットーでは無かったですか?
    ワリトー何年、リットー何年とホームのベンチ看板に、
    表示が在ったことを記憶してます。

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  2. 似非工房饅頭庵2013年1月9日 21:40

    Chitetsuさんごきげんようです。
    南武支線はそれほど遠くでもないのに何故か遠い印象で(鶴見線同様に致し方ない部分でもありますが)、最初に乗ったのは大回り乗車の途上で黄色い101系でした。最初に意識して撮ったのはオリジナルカラーの101系ワンマン車の引退の頃だからごく最近、と思いつつ既に一昔前になってしまいました。
    205系になった今でも浜川崎駅のトイレは健在ですし、驚くほどに今も印象が変わっていません。
    でも、ぶどう色の全盛期の頃から訪れてみたかったです。

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  3. マシュさん
    あとで考えると何で行かなかったのか・・・
    と思うことは結構ありますよね。
    扇風機カバー、そうでしたっけ。
    自分も記憶が曖昧で、そうだったかもしれませんね。

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  4. 饅頭庵さん
    こんにちは。
    実距離と精神的な距離というのは違いますね。
    南武支線はアクセスも微妙でしたし。
    101系になってから一回訪問しましたが確かに浜川崎や尻手の雰囲気はあまり変わっていませんね。

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  5. 懐かしい写真ですね。撮影日を見て???
    この日って、受験直前で。。。。。
    chitesuさんの行動力に脱帽。

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  6. maru-ha殿
    日付を見ると・・・共通一次直前です。
    そうです、こんなことしている場合じゃなかったのです。
    いま親になって考えると自分の行動に呆れています。

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