途中の交換駅ではクモハ40形の並ぶ風景が撮れるということが分かったので、 冬のある日、始発の西武線で拝島に向かいました。
クモハ40039 77.12.26 西秋留 |
現地には朝陽が上がると同時に到着、霜で真っ白な構内で早速撮ったのがこちらの写真です。 冬の朝はそれなりに寒い中、次の交換を待ちます。
クモハ40039(左)、クモハ40033(右) 77.12.26 西秋留 |
列車全てが72系ではなく、103系と混ざるので朝のクモハ40形同志の並びでちゃんと写せるチャンスは計三回 ぐらいであったと思います。
今であれば何度か訪問を繰り返すことでしょうが、その後は沿線で一回撮った程度で置き換えの 時期を迎えてしまいました。
クモハ40同志の顔合わせ一回目は陽が低く余り良い感じでは撮れませんでした。
クモハ40061(左)、クモハ40039(右) 77.12.26 西秋留 |
半流と平妻のクモハ40が並びました。
103系と交換するクモハ40061 77.12.26 西秋留 |
その後の記憶は薄れております。
あとの交換風景は103系とのものしかネガには残っていません。
クハ79394 77.12.26 西秋留 |
4 件のコメント:
3ドアと4ドアの併結なんて、今やったらクレームの嵐ですね。混雑度は今とそんなに変わらないのに、お客さんも寛大だった?
国電も私鉄もこの頃がいちばん面白かったですね。
Cedarさん
今と違ってこの頃は寛容な時代だったのでしょうね。
スカ形時代の横須賀線なんて大変だったのではないでしょうか?
電車も72系と103系が秩序なくやって来るのですから、随分と落差があるというか。当たり外れが激しかったと言えますね。
流石CHITETUさん。五日市線も行ってるとは。
小生も77年頃、中学の鉄仲間と拝島方面に出かけましたが、目的はED16で五日市線は全く対象外という感じでした。
当時は40が青梅でお昼寝していた記憶があります。当時の小生はツリカケに4ドアは似合わんと信じてやまず、72系には目を向けなかったのですが、3扉クモハ40は大好きです。特に半流大好きです。この写真見て、青梅駅のホームで電留線に居た40をパシャパシャしていたのを思い出しました。
maru-haさん
77年ごろはED16がいっぱい走っていましたので、電車も貨物列車も茶色で、青梅線は楽しい路線でした。
自分も昼寝中のクモハ40を青梅で撮ったのを覚えています。
五日市線にクモハ40が入った5連が日常的に走るようになったのは末期の頃だけじゃなかったかと思います。
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