元はと言えば国鉄三国線の終点でありました。
1944年、国鉄三国線の休止路線に乗り入れる形で京福電車としての歴史が始まっています。
京福電車の本来の終点の東尋坊口への路線は逆にこの乗り入れ後に廃止になっており、最初の訪問時にもその当時の遺構を見ることが出来ました。
線路の反対側がすぐに海に面しているのはまさに名前通りです。
95.11.3 三国港 |
国鉄時代の駅舎のままです。
そのため、ほかの京福電車の駅舎の特徴はこの駅では当てはまりません。
95.11.3 三国港 |
こちらから見ても、他の京福電車の駅とはテイストが異なります。
03.4.17 三国港 |
これは京福電車としては運行を停止して、えちぜん鉄道に移管されようとしていた電車が走っていない時の姿です。
駅舎自体は新生えちぜん鉄道に向けてのリニューアルが完了していますが、駅名票などは設置前で名無しの駅になっていました。
03.4.17 三国港 |
化粧直しを終えた駅舎が電車の再びやって来る日を待っています。
この角度から見ると、他の駅とは違ってホームの有効長が長いことがわかります。
これも国鉄時代の名残です。
95.11.3 三国港 |
上を跨ぐアーチ状の橋はこれも戦前国鉄時代からのものです。
4 件のコメント:
駅舎の写真、ありがとうございます。
ストラクチャー工作好きには、嬉しいかぎりです。
三国港のすっきりとした駅舎も魅力的ですし、
松岡の細い駅舎も独特の存在感があっていいですね。
また作りたくなってきました(笑)
栂森さん、こんにちは。
京福電車をはじめ北陸の私鉄には懐かしい木造駅舎が多く残っています。私鉄の駅舎には独特の灰汁のあるデザインが施されていて興味が尽きません。
私もこのブログを書くときまで知らなかったのですが、このような駅舎が有形登録文化財にいくつも指定されており、近年はその価値が広く一般に認められてきているのは嬉しいことです。
自分の生まれ故郷の記事にはいつも感動します、僕はこの駅から歩いて3分ぐらいのところで生まれ育ちました、京福時代からえちぜん電鉄に変わり本当に様変わりしました。今はどうか知りませんが昔は終電車を運転した運転手は港駅内の部屋で一晩寝ていましたし、近くには仕事を終えた運転手が一杯飲める酒屋(めんどり屋)がありましたがどれも昭和の良い思い出です。冬の三国でカニよりも甘エビ丼を食してみてください。水ようかんも忘れずに。。。
Muroさん
こんにちは。
三国港近くで生まれ育たれたのですか。
終着駅に電車の乗務員が電車と一緒に滞泊するケースはあちらこちらで見られましたね。
近年は合理化で減っているようですが。
運転手が終業後一杯飲んで翌朝勤務・・・
良い時代だったのですね。
甘海老丼・・・新鮮で美味しそうですね。
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