2012年4月16日月曜日

初めての関西・山陽遠征 (9・尾小屋鉄道 番外編その2)

訪問当時の尾小屋鉄道は8往復の列車設定で、13:30発のキハ1に乗って終点尾小屋を目指します。因みに次の下り列車は16:10発とかなり開いてしまっていますので、乗車列車の選択の余地なしです。
キハ1 76.3.26 尾小屋
終点、尾小屋到着です。機械式気動車は初体験で、途中金平からはほぼ貸切状態で、車掌さんが切符を回収して、降車が無いことを確認後はあとの駅はすべて通過、ノンストップで尾小屋には数分早着しました。
このような経験は初めてでちょっと驚きました(後年、同じことを深名線で経験しました)。


キハ1 76.3.26 尾小屋
終点尾小屋に憩うキハ1。折り返しまで約二時間、お昼寝状態に入ります。
尾小屋の鉱山はとうに閉鎖され、駅前の街並みはしんと静まり返っていました。
駅舎の下を流れる川の音以外何の音もしない、ものすごく静かな尾小屋駅でした。
ホハフ2 76.3.25 尾小屋
クラシカルなスタイルを残したホハフ2。
残念ながらかなり傷んでいました。
ワフ3 76.3.25 尾小屋
これまたクラシカルなワフ3。
オープンデッキのスタイルが魅力的です。


尾小屋構内風景 76.3.26
 

ホハフ5 76.3.26 尾小屋
 
割合に広い尾小屋構内には御用済みになってしまったと思われる客車や貨車が留置されていました。どれをとっても味のある車両で、これらを全部つなげて走ったら涙ものでしょう。

C155 76.3.26 尾小屋
蒸気機関車C155は積雪地にしては随分と開けっぴろげで質素な機関庫にお尻を出して突っ込まれていて、うまく撮れませんでした。



なぜかものすごくカメラを傾けて撮った画像を無理矢理トリミングしました(まだ傾いていますが・・・)。写真の車庫の手前にターンテーブルがあり、カメラを構えた位置が線路終端であったと思います。機関車は右手の車庫に突っ込まれていました。
まだ僅かに雪が残っていました。


キハ1 76.3.26 長原ー倉谷口


戻りの列車は尾小屋を16:00過ぎの発車で、これはもう歩くしか撮影手段がありません。
TMS誌で紹介されていた有名な木橋でどうしても撮りたかったので、歩いて向かいました。
どんよりとした天気が恨めしいですが、何とか思い通りの写真が撮れてまずは満足。
金平で交換してくる下り列車を撮りに移動です。


キハ3 76.3.26 倉谷口ー観音下
かなり暗くなっていましたが、キハ3の下り列車を何とか撮影できました。
このキハ3を観音下で待って新小松に戻りました。
帰りもガラガラで、行きの下り列車と同様どんどん駅を通過して、またもや新小松には早着しました。
キハ3の一段下降窓がものすごくバタバタと音を立てていたのが印象に残った尾小屋鉄道訪問でした。
新小松到着後の記憶は一切無くなってしまっています。
恐らく能登か越前で帰京したものと思われます。
15の春の冒険旅行はこのような形で終了しました。


これにて初めての単独遠征の旅は終了です。
今振り返るとなんとも不効率な勿体ない旅をしたものだと思いますが、お金のない中学生の考えることなので、まあこんなものかも知れません。持参したフィルムはコニパンSSを6本。恐らく一日一本に予備一本と計算しながら撮ったんではないかと思います。デジカメ時代の現在では考えられないカット数ですが、当時はそんなもんでした。

延々とイマイチ写真の羅列、お粗末さまでした。
<このシリーズ、おわり>

2 件のコメント:

  1. 尾小屋へは2度訪れていますが
    いずれも小松で撮って乗車して
    いません。有意義な旅でしたネ。
    フィルムも高価であまり撮れません。
    コーラも高くて喉が渇くとホ-ムの
    洗面所で水を飲んでいました。

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  2. 学生時代のフィルムはこずかいの中でのやりくりでは結構な負担でした。途中からは100フィート巻きのTRI-Xをパトローネに詰めて使うようになりましたが、パトローネの締め方不十分での光漏れや、フィルムを止めていたテープが外れてカメラ側に巻き取ってしまう等の失敗をかなりやらかして、今となっては貴重なカットを随分失いました。
    確かに飲み物も今ほど飲みませんでした。コンビニ出現前なので、手にも入りにくかったと思います。今も外国に行くとその頃の不便さを思い出します。

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