2012年4月15日日曜日

初めての関西・山陽遠征 (8・山陰線と尾小屋鉄道 番外編その1)

部・小野田線訪問を終え、旅の大きな目標はとりあえず達成。あとは美祢線のキハ17に乗って今宵の宿泊地、青海島ユースを目指します。
終点、仙崎から徒歩で橋を渡って青海島に到着。初めて日本海を見ました。
名前のとおりの春先のまっ青な海が寒い北風と共に印象に残っています。




DF50529(左)、DF50506(右) 76.3.25 長門市
翌朝は早目にYHを出て、仙崎まで歩いて長門市で山陰線に乗り換えです。
本日の目的はDF50の列車を見ることで、これはいきなり長門市で実現します。
上の写真はその交換するDF50牽引列車のシーンです。
時刻表を改めて見てみると、この列車は門司5:23発福知山行きの824列車で、終点福知山に23:50着で、当時で山陰線最長距離鈍行だったようです。



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76.3.25 折居

折居駅にて。長門市から乗ってきた824列車。


76.3.25 折居ー周布

この列車に乗って、折居を目指します。折居着11:00。京都行きの「山陰」を出雲市で捕まえるにはなんと次の客車列車(14:42発)に乗らないと間に合いません。
当時の時刻表を見るとこの間の約4時間、上りの列車は急行崩れの区間列車以外普通列車が無かったわけで、随分と列車が少なかったのに今回改めて時刻表を見て驚きました。そんなもんだったのですね。
それでも折居から周布の間で何本か列車を撮ったり、海で遊んだりして次の列車で出雲市を目指します。
出雲市へ向かう車窓からは火を落としたD51を何両か記録したりしています。
出雲市からは鈍行夜行「山陰」で京都へ、そこからもひたすら鈍行を近江今津、敦賀で乗り継ぎ、小松に到着したのは翌日のお昼、12:38でした。
なんとももったいないというか、気長というか、ハードというかの旅程です。



二枚とも 76.3.26 新小松
という訳で、出雲市から小松までの記録は記憶と共に一切なしで、ようやく小松に到着。
今なら疲労困憊でしょうが、おそらく元気溌剌と新小松の構内を見物しています。
尾小屋鉄道の新小松の構内は自社のバスの車庫も兼ねているため、すべて併用軌道状態になっていました。
キハ2 76.3.26 新小松
尾小屋鉄道で一番見たかったお目当てのバケットカー、キハ2は車庫の一番奥に突っ込まれていて、出番なし。
ガックリしたのを覚えています。(次回に続く)

2 件のコメント:

  1. 地鉄さん、この板でははじめましてKBMC@Hです。
    ようやく「尾小屋」に来ましたね・・「マツコの部屋」はたまたまTVをつけていて・・地鉄さんの作品が出てきて・・やはりなぁって・・そろそろ「尾小屋」の地面でも地鉄さんと繋げたいと思うこのごろです。

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  2. 匿名さん、この板でははじめましてです。
    ようやく尾小屋にきましたが、現役時代の尾小屋訪問はこの一回だけなので、ネタはこれで全部吐き出してしまったようなものなので、次回は・・・ありません。
    マツコの世界の件はどこまでONAIRされるのか疑わしかったので、告知いたしませんでしたが、自分もTV見てちょっと恥ずかしかったです。
    今度尾小屋モジュールを繋げましょう!

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