これからも折を見て、西武線の記録をご紹介してみたいと思っていますが、まずは小学校時代のお恥ずかし写真第3弾です。
当時の行動範囲の最遠の場所がここ、中村橋駅です。
高架化される前までちょっとおしゃれな洋風駅舎が最後まで残っていたのを記憶にある方もいらっしゃると思います。
上下線に各々駅舎があり、上下の往き来は公道を介してしかできないという、当時でも少なくなりつつあった構造をしていました。
クモハ516 1972.7 中村橋 |
(西武線にしては)強力な電動機を装架していた501系です。
台車もM車だけですがちゃんと空気ばねに改造されています(写真は潰れていてすみません)。
なかなかまとまったスタイルをしていると私は思うのですが、鉄道ファンからは余り注目されることなく引退してしまったのが、残念です。
夏の暑い午後だったと思うのですが、車掌さんはちゃんと上着を着て写真を撮っている私を見ています。
まだ4両編成で事足りたのも今としてはびっくりです。
クモハ451型(車番不明) 1972.7 中村橋
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まだ黄色い電車が少数派だった時代なので、赤い電車が次々来ます。
これはクモハ451型です。切妻カマボコ車体で両開き扉と国鉄101系パクリデザインですが、下回りはバッチリ戦前グレードの新車でデビューしています。余り乗り心地も良くありませんでしたが、なんとなく好きな電車でした。
クモニ1 1972.7 中村橋 |
こちらは武蔵野鉄道の唯一の生き残り、クモニ1型です。
一回一畑電車に行ってから里帰りした不思議な経歴を持った電車です。
ちゃんとこの駅にも止まって荷物を下ろして走り去っていきました。
クハ1411型(これまた車番不明) 1972.7 中村橋 |
最後はブレブレヘタ画像で失礼します。
当時の上りホーム側駅舎脇から池袋方を見た画像です。
「急行 飯能」行きのサボも凛々しく通過する姿がなんとなく気に入っています。
小学生時代のお恥ずかし画像は三回にて終了として、今度は数回間を置いて中学生の自分が初めて単独行動を許してもらい、旧型国電を追って西に下関まで行ったお話をしてみたいと思います。
1 件のコメント:
高架されて島式2面のホームになるまで、連絡跨線橋なんてありませんでした。
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