国鉄一般気動車の標準色であったツートンカラーは逐次タラコ色に塗り替えられて最後に残ったのは木次線のキハ52形1両という時代がありました。
1991.5.5 幡屋 |
列車回数が少ないこの路線で国鉄気動車色に会えるかどうかは賭けのようなものでした。
1991年の連休に山陰地方に行った折に足掛け2日を木次線訪問に充てました。午後の斜光線を浴びながらやって来たのは目的の国鉄色で、興奮したのを覚えています。
このキハ52形自体はその後消え去りましたが、各地で復刻色が登場皮肉にも今も全国で何両か見ることができるようになりました。
キハ52ー128ですね・・・懐かしい(笑)
返信削除この車両は、出雲坂根~三井野原間で転落廃車となったキハ53-6の補充として、遠く盛岡局(小牛田区だったかな?)から、この色のまま転属してきました。
当時、国鉄勤務だった方から、全検の際に1色化の予定だったが、そのまま残す事となり、予算か何かの関係で後藤工場から職員を派遣して、木次で塗装したと聞いた覚えがあります。
その後、平成の世まで残り、米子区の予備車として、注目を浴びながら日本海をバックに山陰本線を走り続けるとは、当時は思いもしませんでした・・・
まろねふさん
返信削除やはり塗り替えの時に特別な対応があったのですね。山陰線を走っていたのは知ってはいたものの、何せ東京からは遠く指を咥えて見ていました。
いつも楽しく拝見してます。
返信削除私もこの年の5月に木次線乗りました。
もう40年!
東京メトロ7000窓下にパスモ落とした男の子父親
chitetuさま
返信削除やはり、山陰は辺境の地でしたからね・・・
もう一つ思い出したのが、この時の塗り替え以降だったか、本来の朱色4号+クリーム4号ではなく、急行色の赤11号+クリーム4号になりました。前出の国鉄職員の方から、塗料は在庫が無かったと聞いた記憶が・・・?
これは、再末期まで継承されており、違和感はずっと持ってました(笑)
匿名さん
返信削除そうでしたか。
今考えればいろいろと楽しめた時代だった気がします。
木次線の未来がちょっと心配ですね。
まろねふさん
返信削除一般気動車色と急行色は似て非なるカラーですね。
一般気動車にはちょっと違和感ありそうですね。
先日津山で見たキハ52の赤も濃くて違和感あったのですが、もしかしてその色だったのかもしれませんね。