2021年7月30日金曜日

瀬田の坂道に行ってみる。

 永らく猛威を振るっていた東急の婆さん電車もいよいよ残すところ編成数が10本を切って来たそうです。

折に触れて写真は記録してきましたが、近場で一か所ずっと行きそびれていたところがありました。それは瀬田の坂道からトンネルに入る区間です。いつでも行けるといつも車窓から見ていた歩道橋に行ってみることにしました。


この日の婆さん電車の運用は5本程度。既によく時間を見ながら行かないとひたすら炎天下で待ちぼうけを食ってしまうほど本数は減ってきました。

運用情報を見て都合がよく3本が20分以内に集中する時間帯を狙って現場へ向かいます。現場はこんなにも緑がいっぱい、さかもかなりきつくて結構汗をかいてしまいました。


歩道橋を渡って瀬田の坂に着きました。
玉電時代はここを上っていたのですね。条件は今と違うとはいえ結構な坂道です。



脇道にはこんなオブジェが地元の美大製作で置かれていました。



さすがに玉電時代とは違って、ここまで緑が深くは無いものの気持ちの良い場所です。この当時は随分と長閑だったようですね。

21.7.28 二子玉川ー用賀

そんな坂道を見ている間に目的の婆さん電車がお出ましです。
相変わらずの轟音を出してトンネルに消えてゆきました。


懸案のカットがこちら。
私お得意の後追い撮影です(笑)。


たった30分程度の待つ時間も暑くて汗だらだら。
早々に引き上げることに。
帰り道は川沿いをてくてく歩きます。


以上、正味20分間だけのインスタントプチハイクのレポートでした。

6 件のコメント:

  1. 気がついたら一桁代の残存数なんですね、騒がしくなる前に少しずつ撮っておくようにします。
    ちなみにラストカットの場所、一瞬「どこかな?」と思いました。

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  2. Cedarさん
    当たり前に来た婆さん電車も随分見かけなくなりました。
    この川沿いの散歩は暑いながらも楽しかったです。

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  3. 「玉電」が瀬田の急坂を駆け下りて二子玉川に向かって行く時の沿線の景色は、半世紀余りを過ぎた今でも、瞼の奥にしっかり焼き付いている忘れがたき風景でした。建売と思われる住宅が立ち並ぶ右手の低い土地の向こうには、まだ高い建物もなく遠くまで見通せたものでした。40‰の急坂が続く途中に、電車1両がやっと停まれるだけの、わずかにほぼ平らになった部分があって、「昔はそこに駅があった」ことは後で知ったことでした。「新玉川線」ができてから、地上に出てからしばらく右手の景色を見てきていると、住宅もすっかり建て替えられ、住宅地越しには「富士ビューマンション」という名の低層マンションがあって、建てられたころにはその名の通り富士山の姿を眺められたのでしょうが、その方向にある砧方面が宅地化され、更に新・二子橋に続く高架の道路ができて名ばかりとなって、その後取り壊されて、今は別の高層マンションが建っているようです。「玉電」が坂を下り切っていた辺りには、「二子玉川イン」という名の旅館?がありましたが、今もやっているのでしょうか?
    瀬田の交差点から二子橋に降りて行く国道246の右手の高台側のビルには、かつて地下にミニショッピング街があり、その後「瀬田温泉・山河の湯」という名の温泉施設ができて、二子玉川からSL風の送迎バスが出ていたそうですが、いつの間にかなくなっていました。利用不振だったか、あるいは温泉が枯れたのでしょうか。今では会員制のスポーツクラブになって、部外者立ち入り禁止になっているようです。

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  4. 伊豆の国さん
    二子玉川インはちょうど解体されるところでした。
    富士山は遠くになりにけりですね。

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  5. 再コメ失礼します、二子玉川インの解体をしばらく前に知ってショックでした、近間に泊まるって企画の究極の形として、一度泊まってみようと思ってたのです。裏手は旧砧線の線路敷に沿ってカーブしてましたし~バカなこと考えたらすぐ実行しないとアカンですね。二子玉川イン亡きあとは等々力のホテル大和か・・・

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  6. Cedarさん
    二子玉川イン、以前から話題になっていたホテルでしたね。
    先日通った時は辛うじて姿を留めていましたが、暑さボケで写真も撮らずに通過して、電車の窓から見て気づきました。
    自宅至近の旅館に宿泊というのも面白そうですね!

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