2018年7月17日火曜日

夏休みのアルバイトとそこで見た機関車

いよいよ夏休みシーズン到来です。
今日は夏休みの思い出です。

大学一年生の夏休み、所属する鉄道研究会で毎年恒例の夏季アルバイト募集がありました。アルバイトは鉄道研究会らしく鉄道に関係するもので、2件ありました。
一つは日本食堂のバイトで夏の多客期の上野駅での弁当売りです。
もう一つは尾久客車区で列車の車内清掃でした。
車内清掃は泊りのある勤務でちょっとタイトでしたが、列車に直接かかわれるアルバイトは魅力的でしたので、こちらの車内清掃バイトを希望しました。

DD13 25 80.7. 尾久

こちらがそのアルバイト時に撮った構内の風景です。
今だといろいろうるさそうですが、当時は作業の合間の休憩時間であれば自由に構内をあるいて写真を撮っても咎められない鷹揚な時代でした。

DD13 25 80.7. 尾久

構内の客車入れ換えは初期型DD13がその任に当たっていました。
乗客がいない車輛の入れ替えはかなり乱暴で、ポイントなども制限いっぱいどころかオーバーぐらいでガンガン行きますし、連結時のショックも大きかったです。
列車によっては構内入れ換え時間帯に作業しないと出庫してしまうものもあり、それは走行しながら清掃しますので、急なショックで最初は倒れそうになったりしました。

DD13 21 80.7. 尾久
これは回送時の姿で、重連で待機中です。
背後には20系客車が元気な姿を見せています。

EF15 138 80.7. 上中里

尾久客車区の事務所には上中里駅が最寄でした。
明け番の時にそこを行き来する貨物列車なども撮っています。

Ef15 157 80.7. 上中里

今となっては懐かしい車輛たちばかりでした。

4 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2018年7月17日 10:49

    車両基地の中を自由に行き来できるなんて、貴重な体験ですね。仕事はオマケ?

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  2. モハメイドペーパーさん
    あの広い構内を自由に動けるのは最大のメリットでした。
    当時古い客車ばっかり撮って新性能電車を撮らなかったのが今となっては残念至極です。

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  3. ジモティー2018年7月18日 17:06

    初期のDD13て一つ目だったんですよね。Tomixが最初に出したNゲージのDD13もこのタイプでしたが、昔は地元の根岸線や横浜港の貨物線では、シールドビーム2灯のDD13が石油タンク車や一般貨物を牽引していたため、DD13と言えば2灯以外にないと思い込んでいました。そんなわけで中学生の頃、品川の東海道線下りホームにいたときだったと思いますが、初めて一つ目DD13を認識しときにはとても奇異に感じました。その時一緒にいた同級生も同様だったらしく、「一つ目小僧!」と呼んでちゃかしていました。
    尤も、お子ちゃまの頃はDEに関してはよく知らなかったので、2灯のDD13とDD51の区別が付かず、園児の頃、佐賀駅から横浜駅まで2レさくらに乗るときに、ホームに入って来た先頭のDD51を見て、「根岸線でノロノロ貨物を牽いてるヤツじゃん。カッコ悪い!」と思ったことを覚えています。当時、特急は絵本や乗り物図鑑のとおり、往きの横浜駅で見たカッコイイEF65Pが牽引するものと思い込んでいたので、まさかのDD13(実はDD51)先頭で落胆したのでした(まあ、長崎本線に架線が無いことも、九州が交流電化だと言うことも、当時は知らなかったわけですが・・・)。

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  4. ジモティーさん
    前照灯が一つのDD13は少数派でしたね。
    私もここ以外ではそれほど見た覚えがありません。
    尾久への入出庫で山手貨物線を良く走っていたので、都内では意外と見かけるチャンスはあったと思います。

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