2018年5月31日木曜日

ウェールズの汽車旅 その2 ヒースローからチェスターへ

ゴールデンウイークもほとんどおしまいの頃、ウェールズ汽車旅に出かけました。

18.5.5 

早朝の羽田から、一路ロンドンへ。



18.5.5 ヒースロー空港

ヒースロー空港、到着です。

18.5.5 ヒースロー空港

懐かしい地下鉄マークがお出迎え。
このマークは34年前に初めて海外旅行に行ったときに最初に見た鉄道のマークでありました。
その時と変わらないわかりやすいデザインが健在でした。

18.5.5 Green Park

ピカデリー線でロンドン中心部へ移動。
結構ワイルドな乗り心地、駅の手前で車内の電気が消える、など古い地下鉄の雰囲気を残していました。

18.5.5 Green Park

GreenParkで別の路線に乗り換え。
電車が走り去ると次の電車のライトが見えるほどの頻繁運転にもびっくり。
こちらの電車はピカデリー線より新しそうです。


18.5.5 London Euston

チューブでバーミンガム方面の列車の始発駅、Euston駅に移動しました。
イギリスは上下分離方式なので、走る列車は複数の会社が同じ方面に違う値段で走っていてすごく複雑です。
日本で置き換えると国鉄が線路持っていて、JRやスカイマークが同じ線路を列車を走らせているような感じということでしょうか(間違っているかもしれませんが・・)。
日本のような特急、急行みたいな列車種別でないのもわかり辛いです。
そこに、ネット予約、当日券、当日券にもオフピークやらホリデーやらシニアやらやたら種類があって訳が分かりません。

18.5.5 London Euston

18.5.5 London Euston

乗車したのは一番早いけど高いバージントレインではない、日本でいうところの快速列車のようなものに乗車しました。
車内はほぼ満席。
イギリスの列車は全体的に車両が小さく、あの大きな図体の人がよく文句を言わないと思います。
乗車した電車も何となく狭苦しかったです。


18.5.5

Euston駅を出ると、近郊区間ではこのような味わいのある駅にこまめに停車。

18.5.5 Birmingham New Street

約2時間半でバーミンガムに着きました。

ビックリカーナビ

ここからはレンタカーで移動をします。
借りた車は韓国車!
液晶画面があるのに、そこに吸盤でカーナビをつけろ!というなんともテキトーなレンタカーです。



暮れなずむ高速を一路、チェスターへ。
チェスターは古い街並みが残っている街です。
有名なチェスターコートはここが起源かと思ったら、人物名らしいです。

18.5.5 Chester

本日の宿泊先に着きました。

乾杯イエイ!

到着したのはなんだかんだで21時ぐらい。
長い一日でした。
既にホテル内のレストランを含めてまわりのレストランは閉まっていました。
仕方ないので遅くまでやっているスーパーとケンタッキーで食糧調達してホテルで乾杯です。

18.5.5 Chester

暮れなずむチェスターのホテル。
いよいよ翌朝からはウェールズ汽車旅が始まります。








8 件のコメント:

  1. イギリスの車両限界は、日本だと戦前の私鉄電車並みですね。丸こっい断面の車両だと台車の上部が見えそうです。

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  2. Cedarさん
    やはり歴史が古い分、車輛限界が小さいようですね。
    帰りに乗ったバージントレインは特に狭苦しい感じでした。

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  3. ゆうえん・こうじ2018年5月31日 19:04

    イギリスの鉄道の車両限界は、日本の在来線とほぼ同じといってもよい思います。
    というわけで、英国のスタンダードゲージの車両を前からみるとまさに16番のプロポーションだと思います。
    とくに小型蒸機みると、まるで16番のBタンクやCタンクの実物が走っているように見えます。
    あと線路を跨ぐ陸橋が多くて、そこに架線張ったので、架線集電の電車は天井低いですよ。


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  4. ジモティー2018年5月31日 19:40

    1989年に、仕事を辞めて8ヶ月程イギリスの地方都市に逃亡していましたが、大変美味しいイギリス料理ばかりではさすがに飽きるので、月2回位、日帰りで楽しいロンドン愉快なロンドン!のピカデリーサーカス辺りに、何故かアジア成分の補給に行き、中華料理やベトナム料理をよく食べてました(和食は法外に高かったので)。
    そんなこんなで、地下鉄ピカデリー線、ベーカールー線、環状線にはよくお世話になってましたが、写真のピカデリー線の電車は当時のままですね(当時の顔は赤の単色塗りじゃなかったような気がしますが)。ただ、当時他のTubeの車輌は外見は同様でも車齢が古く、床が木(恐らく滑り止めのため)だったり吊り掛け車もあったりで、またドア故障も度々あり、開いたままの乗降口にロープを張り、職員が突っ立ったまま発車して行く光景はお約束でした。因みに写真のピカデリー線の電車は、当時は最新の車輌だったと思います。

    あと、当時長距離幹線は全て国鉄車両で、客レの急行?に乗っても、最高200Km/hで走るIC125の特急?に乗っても、料金は同じで優等料金も不要。オックスフォードーパディントン間は片道8ポンド強程度でした。
    ただ国鉄の運賃は他と比較しても高く、同区間でも高速バスだと片道3ポンド程度と、往復してもバスの方が安いので、鉄分欠乏症が発症した時以外、安くて運行頻度の高い高速バスを殆ど利用してました。

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  5. ゆうえん・こうじさん
    車輌限界はかなり小さく、ガニマタですね。
    あれだけ陸橋多いと嵩上げも出来ませんものね(笑)。
    納得であります。

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  6. ジモティーさん
    そうですか、8か月のイギリス滞在とは。
    日本食は海外ではどこへ行っても高いですね。
    最近のアジア圏のコンビニぐらいでしょうか、まあまあの価格なのはと思います。
    確かに当時乗った地下鉄の床は木なのか何なのか、溝が走っていてそこにごみが詰まってえらく汚い電車だと思った記憶があります。
    ブリティッシュレイルの列車種別と価格体系は余所者にはよくわからんシステムですね。

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  7. 御無沙汰してました

    イギリスの鉄道は、Cederさんの話の通り、歴史が古いことが現在までに大きな影響を及ぼしており、1435mm軌間ととともに、「台車の技術が発達する前に車体が大規模化した」ために、曲線の制限が大きく、ローマ帝国の軍道のように、かなり大規模な工事をしてまで直線的に線路を敷設した、という事情がありました。一方で、車両限界が小さいのも歴史的な経緯で、このために「車両限界が小さい」のに「軌道が直線的で線形が良い」ことが車両開発に大きな影響を与えていました。「車両限界」については、足回り周辺の限界が小さく設定されていたため、蒸気機関車の設計時に「大直径のシリンダー」を装備することができず、このために3シリンダー機が一般的になったとされています。

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  8. 原口さん
    歴史があるということは足かせも大きということですね。
    チューブに乗って改めてそれを実感しました。

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