2018年3月29日木曜日

今度こそ本当に・・・・さよなら、京急デハ2000形

京急のデハ2000形、前回これで見納め~という記事を書いたものの、結局引退最終日にまたもやお名残り撮影に行ってしまいました。
前回記事はこちら
http://tsurikakedensha.blogspot.jp/2018/03/blog-post_55.html

デハ2011 18.3.25 北品川
Photo by Y.Tanikawa

こちらは見に行かなかった、先週末のさよなら運転の画像です。
ナローゲージジャンクションの友人が会場に行く前に撮ったものをもらった画像です。

この時は池袋芸術祭とも重なったので最初から行く気が無かったのですが、あとで聞いたら当日この列車を運転をしていたのが、大学鉄研の一つ後輩の息子さんだったとのこと。
その話を聞いてなにか縁を感じてしまい、もう一回見納めに行きたくなってしまいました。

幸か不幸か会社の同僚が大の京急ファンでいろいろ情報が入ってくることや、運転最終日に横浜方面に用務があったことから再びラストランを見に行くことにしました。

デハ2011 18.3.28 仲木戸

そして、運転最終日の朝です。
どの運用に入るかちょっと情報が錯綜していましたが、噂の運用の特急・羽田空港ゆきで運用に入りました。
下り普通に脅かされながらも仲木戸でその姿を何とか捉えられました。
これで、おしまいだなと思いつつも帰社後に本当のラストランの確定情報入手。
仕事をちょっと早めに片付けて、またもや出撃。

デハ2011 18.3.28 品川ー北品川

上り最終列車は日没後の18:07着の特急品川ゆき。
締めはやはり八ツ山橋にしたいと思い向かいました。
やってくる時間は日没後なので、どんどん暗くなる悪条件との勝負です。
しかし!それ以上にもう一つの悪条件が。
朝に続いて今回も下り列車と被ってこんな苦しい画像が上り列車のラストショットになってしまいました。

デハ2011 18.3.28 品川ー北品川

そして、最終運行は7分後の折り返し18:15発京急久里浜ゆき快特でした。

デハ2011 18.3.28 品川ー北品川

後輩とすれ違いながら、ゆっくりと二度と来ることはない品川を後にします。

デハ2011 18.3.28 品川ー北品川


デハ2018 18.3.28 品川ー北品川

後ろに1000形4輌をつなげてゆっくりと眼前を通過してゆきます。

デハ1444 18.3.28 品川ー北品川

今度こそ間違いなく見納め。
お疲れさまでした。

14 件のコメント:

  1. 一番上の写真の、羽田空港行特急は私の通勤時間帯に重なっていて、今日(28日)の通勤時に目撃しました。「我が心の飯田線掲示板」にも報告したのですが、15Cの運用は、私の利用する列車と黄金町駅付近ですれ違い、先週木曜日に15C運用に入った2011編成とすれ違うところを写真撮影するとともに、今日も同じところですれ違いました。

    前回の2000型の話題の時も話に出ましたが、2000型は車両形態の点で従来車とは大きな変化が起こっています。その中での特筆すべき点は「両開き扉を初めて採用したこと」と、「ヘッドライトが”おでこに1灯”から初めて変化したこと」が挙げられます。いわば長く「伝統的な形態」を保持していたのが、2000型で一挙に「他の私鉄に追いついた」あるいは「他の私鉄と同じになった」ことになり、京急の車両を見慣れた目からはかなりの驚きがあったのではないかと思います。

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  2. 原口さん
    これまでの京急の伝統をいくつも破った初の形式が2000形であったと思います。
    伝統のスタイルが好きだった私にとっては登場時はあまり好きになれない電車でしたが、3扉になって健気に活躍する姿を見るにつけ・・でした。
    昼間はお休みが多い不遇の次期もありましたが、晩年はエアポート急行で活躍の場が再びできたことは良かったと思います。

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  3. モハメイドペーパー2018年3月29日 9:55

     夕方の品川行き特急、原鉄の帰りに乗った覚えがあります。同じ構造の台車でも、1000形より安定感があるように感じますね。

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  4. 800形に次ぐ軽快な塗り分けで、日野原正イズムを脱却した新時代を感じました。個人的には83年の初日の出号に乗ったのが最初の気がします。葬式鉄はしないのですが、こいつは別格です。地鉄さんの写真を見ると「故吉村光夫さんも八ツ山橋の柱の陰から見届けている」そんな気がしてならないです。

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  5. 格下げされてもカーテンは維持されていたので、独特の「車格」を感じる電車でした。
    嫁は「病院みたい」と言いましたが、、、(笑)

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  6. モハメイドペーパーさん
    私も原鉄の行き来でわざわざ川崎で乗り換えて何度か乗りました。
    おっしゃるように走行時に安定感を感じました。

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  7. 郊外電車デハさん
    2000形は登場時に、両開き扉に腰ライトで京急らしくないと感じたものです。
    私も葬式鉄は好きじゃないのですが、ラストランは特段の儀式も予定されていなかったようなので、静かに見送ることができました。
    八ツ山橋からの眺めは京急らしい場所で好きです。

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  8. 赤影さん
    そうなんですね!
    カーテンを最後まで維持したのは元特急車らしいと思いました。
    病院みたい・・・なるほど。。。

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  9. 2000形は京急らしくないようで、京急らしい電車でしたね。ファン誌に載った登場時の吉村さんの紹介記事の文章を思い出します。

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  10. Cedarさん
    京急らしくなくて、京急らしい電車。なるほど納得の表現ですね!京急として従来の伝統を破りながら新たのことに挑戦した電車でしたね。
    京急の一つの時代が終わった感じでしょうかq

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  11. 素敵なお別れ撮影でしたね。良い画像を見せていただきありがとうございます。

    > 京急らしくなくて、京急らしい電車

    なるほど。同感です!!
    私が小学生の頃に登場した800と2000は、自分の中でいつまでも、京浜急行のカッコイイ新車です。

    こうなってくると、次は800がお別れでしょうか・・・

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  12. 卓さん
    京急のお別れ列車は230形でトチっているトラウマか1000形、2000形と行ってしまいました〜。
    この分じゃ800形もかしらですね^_^

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  13. ジモティー2018年3月30日 16:05

    やってしまいました。大失敗です。
    2000形は未だ1本残っているという事で、まだ大丈夫だと安心していたらこのラストランです。
    最後に乗ることも写真を撮ることもできず、相変わらず一生後悔士の人生を送っています。
    本当は日ノ出町近辺の大岡川沿いの満開の桜並木をバックに、最後の姿を撮りたかったのですが。
    でも、3ドア・ロングシート化されて王位剥奪された、悲劇の女王の落ちぶれた姿は見たくなかったので、
    まあいいんですが・・・。

    負け惜しみです。

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  14. ジモティーさん
    最終運曜日、私も知り合い情報で聞いて行けましたが、この手の情報はよくわからないものですよね。まあ、最後は写真の良し悪しより記念のようなものです。

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