2018年2月17日土曜日

最初で最後の特急「富士」

今回は私らしくないネタを一つ。
2007年の3月に大分出張があり、これは滅多にないチャンスとばかりにすでに先が見えていた寝台特急富士をお名残り撮影しました。


ED7666 07.3.9 大分

まずは出張初日の大分駅で捉えた富士。
実はこの列車は前日の夜の下り列車を帰宅時に偶然有楽町で見ました。
翌朝この列車に大分で会うのだな、と思いながら見届けていました。

当時の時刻表を見ると東京発18:03、大分着が11:17でした。
朝の飛行機で追い越して、同じ列車に翌日もう一回出会うのはちょっと不思議な感じです。

ED7666 07.3.9 大分

こうやって編成を見るとちょっと短く感じます。
赤い機関車の牽くブルトレは実はこの時が初撮影でした。

ED7690 07.3.10 西大分ー東別府

翌日の大分市内での業務終了後は大急ぎで別大間へレンタカーで向かいました。
ギリギリでしたが、なんとか間に合いました。
大分発16:43、別府発16:54でした。

07.3.10 西大分ー東別府

後ろ姿も。
天候も悪かったので、明るさもギリギリでした。

07.3.11 杵築―大神

更にその翌日の帰京前は大分空港に行く時間ギリギリでしたが、なんとか上り列車を杵築の築堤で押さえられました。
同列車は2年後のダイヤ改正で廃止になっています。
結局赤い機関車のブルトレはこの3日間の出会いが最初で最後となりました。

4 件のコメント:

  1. Chitetsuさんらしくないネタでも、ちゃんとした場所でおさえられてるとこがChitetsuさんらしいです。
    赤い電機が牽くブルトレ、映えますね〜

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  2. 寝台特急「富士」は2005年9月と2007年9月の2回、下関への出張に用いました(列車としては「はやぶさ・富士」)2005年は行き、2007年は帰りで使ったのですが、いずれも小倉まで行って分割、併合を観察しました。

    寝台列車が衰退した最大の理由は、Chitetsuさんの当日の行動でも明らかな、「より遅く出発して、早く到着する交通手段がある」ことで、私も、2002年11月の下関の出張で、「下関発の「あさかぜ」を見送り、その後で小倉駅に移動して新幹線で当日中に関東の自宅に帰る」という行動をとったことにも象徴されます。

    東京―九州間の寝台特急は、1994年10月の福岡市への出張で、当時廃止が発表になっていた博多行きの「あさかぜ」で行き、行程の関係で諫早からになった帰りは「みずほ」を使う、という方法を取ったのですが、この出張からちょうど20年後の2014年にふたたび福岡市へ出張し、この時は東京―九州間寝台特急は全て無くなっていたので、往復新幹線を使いました。

    夜行の移動の存在意義は、「当日移動が可能な最も遅い移動機関よりも出発が遅く、翌日の移動で最も早い交通機関よりも早く到着する」ことで、移動手段が多様になったことにより、この条件を満たす移動機関、距離の幅が狭くなったように思います。鉄道では「サンライズ出雲・瀬戸」がこの条件を満たしており、いずれも帰りに1999年、2000年、2001年に松江から「サンライズ出雲」を、2013年に坂出から「サンライズ瀬戸」を使っています。

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  3. どMさん
    ありがとうございます。
    赤い電機と青い客車の組み合わせは素敵ですね。
    もうちょっと撮っておけば良かったです。

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  4. 原口さん
    夜行列車衰退の原因は様々あるのでしょうが、工夫も足らなかったような気がします。
    複数の鉄道会社を通過するのもその要因ではないかと思います。
    特に真ん中辺の会社が身勝手なことをするのもいけなかったのでは。

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