少年時代から大の電車好きです。 物心ついた時には踏切の横に立って電車を見ていました。 以降、全国各地に吊り掛け電車を追いかけて歩いた記録を中心に、模型やストラクチャー探訪記などを気まぐれに載せてゆきたいと思います。
お疲れさまでした。訪ねるタイミングが悪くお会いできませんでしたが、新作を実際にこの目で拝見することが出来、有意義な時間を過ごすことが出来ました。ありがとうございました。
作品展お疲れ様でした。先週土曜の訪問時に注目したのは、持参した太田蘭三著「脱獄山脈」とも関連するのですが、「改札口」でした。展示レイアウトの駅の改札口は、木の角材細工のものが表現されていましたが、大麻生駅や三峰口駅等秩父鉄道ではまだ見られますが地方でも珍しくなっているものだと思います。また、より近代化された鋼板製のカウンター形式のものの方がより珍しくなっている可能性が高く、秩父鉄道では熊谷駅や行田市駅で見られるのですが、かつての上野駅や新宿駅で見られたカウンターがずらりと並ぶ改札口は見られなくなっていると思います。「脱獄山脈」では、脱獄囚の行方を追うため、南武線の矢川駅、青梅線の奥多摩駅、小海線の信濃川上駅で警察が聞き込みを行っているのですが、「切符売り場の係員」「改札係」への聞き込みは、切符販売と改札の自動化が進んだ現在では不可能になりつつあり、恐らく現在の都市圏の目から見ると、この部分は理解しにくくなっていると思われます。話の中では売店の販売員にも話を聞いており、奥多摩駅と小淵沢駅が出てきます。「脱獄山脈」は昭和53年夏の夏山シーズンが舞台と考えられ、南武線の電車が101系と旧型国電が微妙な時期ですが、「53-10改正」前であることを示す表現が中にありました。後半の方で脱獄囚が向かった北アルプスへ敬二が向かう時に使った列車が「夜行のアルプス7号」と標記されており、53-10改正以前の下り、上り共に1号から振られていた時代(「あずさ2号」が8時ちょうどに新宿駅を出発していた時代)の番号であることがうかがえます。もっと後の太田蘭三の小説では、もっとハイナンバーの急行アルプスが使われています。
三等急電さんお越しいただき、ありがとうございました。何とか無事終了できました。
原口さん現役の改札口の木製ラッチは今や全国的に絶滅危惧種でしょうね。その前に改札に駅員が立っていたことがわかる世代も段々減ってきていますね。
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4 件のコメント:
お疲れさまでした。
訪ねるタイミングが悪くお会いできませんでしたが、新作を実際にこの目で拝見することが出来、有意義な時間を過ごすことが出来ました。
ありがとうございました。
作品展お疲れ様でした。
先週土曜の訪問時に注目したのは、持参した太田蘭三著「脱獄山脈」とも関連するのですが、「改札口」でした。展示レイアウトの駅の改札口は、木の角材細工のものが表現されていましたが、大麻生駅や三峰口駅等秩父鉄道ではまだ見られますが地方でも珍しくなっているものだと思います。また、より近代化された鋼板製のカウンター形式のものの方がより珍しくなっている可能性が高く、秩父鉄道では熊谷駅や行田市駅で見られるのですが、かつての上野駅や新宿駅で見られたカウンターがずらりと並ぶ改札口は見られなくなっていると思います。
「脱獄山脈」では、脱獄囚の行方を追うため、南武線の矢川駅、青梅線の奥多摩駅、小海線の信濃川上駅で警察が聞き込みを行っているのですが、「切符売り場の係員」「改札係」への聞き込みは、切符販売と改札の自動化が進んだ現在では不可能になりつつあり、恐らく現在の都市圏の目から見ると、この部分は理解しにくくなっていると思われます。話の中では売店の販売員にも話を聞いており、奥多摩駅と小淵沢駅が出てきます。
「脱獄山脈」は昭和53年夏の夏山シーズンが舞台と考えられ、南武線の電車が101系と旧型国電が微妙な時期ですが、「53-10改正」前であることを示す表現が中にありました。後半の方で脱獄囚が向かった北アルプスへ敬二が向かう時に使った列車が「夜行のアルプス7号」と標記されており、53-10改正以前の下り、上り共に1号から振られていた時代(「あずさ2号」が8時ちょうどに新宿駅を出発していた時代)の番号であることがうかがえます。もっと後の太田蘭三の小説では、もっとハイナンバーの急行アルプスが使われています。
三等急電さん
お越しいただき、ありがとうございました。
何とか無事終了できました。
原口さん
現役の改札口の木製ラッチは今や全国的に絶滅危惧種でしょうね。
その前に改札に駅員が立っていたことがわかる世代も段々減ってきていますね。
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