14.12.16 大塚 |
ホームドアもだんだん違和感が無くなってきました。
過保護な国ニッポン、加速中でっす。
14.12.16 大塚 |
『都電の走る街』というのをウリにしていたんですね。
知りませんでした。
山手線がどこかのカメラ屋さんのキャラみたいになっています。
7005 14.12.16 大塚 |
都電の見えるホーム。
いつもの7000形が走っています。
93.12.1 大塚 |
1993年当時の大塚駅舎。
駅前広場は鳩がいっぱい、空が広いです。
この当時でも山手線でこのような駅風景を残しているところは余りありませんでした。
こんな姿は長くないのだろうな、と思って撮った記憶があります。
駅前が広々としていますね。
14.12.16 大塚 |
現在はこうです。
駅前広場までアトレが進出してきて、都電の線路を越えないと写真が撮れませんでした。
駅というよりタダのビルですね。
14.12.16 大塚 |
駅の反対側はあまり変化していませんでした。
都心部は紅葉が遅いですね。
このままでは紅葉が年越ししてしまいそうです。
クハE230-552(上)、 9001(下) 14.12.16 大塚 |
ちょうどレトロ電車がやってきましたので、山手線とツーショット。
もうじき上の電車も交代の時を迎えそうです。
世代交代が早すぎます。
9001 14.12.16 大塚 |
9001号がクリスマス電車になっていました。
9001 14.12.16 大塚 |
もうじきクリスマスですね・・・。
年の瀬になぜか大塚駅を載せたくなるこの心理(笑)
返信削除http://blogs.yahoo.co.jp/de_eb_zzzz/31671834.html
角萬、撮っておけばよかったなぁ。。。
赤影さん
返信削除なんとまあ、どう言う心理なんでしょうね(笑)。
角萬、自分も撮っておけば良かった〜。
駅の反対側のカットに写っている大塚ビルは、私が長らく仕事で係わっていた会社が入っていました。外装は変わりましたが、戦前に百貨店だったビルだそうです。
返信削除東中野の日本閣、原宿の東郷会館などもテレビCM流していましたね。
返信削除角萬の屋上には金閣寺やバイキング船があったようですが、そこまで行けたカップルは既に50過ぎでしょうか?
モハメイドペーパーさん
返信削除大塚ビルがデパートだったというお話、Cedarさんのブログで読んだ気がしますがビックリですね。
大塚がそんな位置にいたということですね。
12号線さん
返信削除角萬が無くなったのは昭和の終わり頃のことですから、ここにお世話になったカップルはそれなりの年齢になっていますね。
結婚式のスタイルも随分変わりました。
出遅れました!『大塚〜ぁ、角満〜ん』で派手な広告、殆どキッチュな外観、かべにでっかい新郎新婦のイラストがライトに浮かび屋上には金閣寺。千と千尋〜の湯屋みたいでした。
返信削除父に聞いた話ですが、戦後すぐ焼け跡の瓦礫に赤ペンキで広告が書き殴られていたとか…。
脱線コメ、すみません!
皆さんが一様におっしゃっているあの「大塚~、角萬~」のCM、私も子供の頃に耳にたこができるくらい聞いた(聞かされた)ことをはっきり覚えています。「角萬」は、知らないうちにいつの間にか消えていた、といったような気がするのですが。
返信削除大塚駅の北口の駅前広場、そのスペースをふさぐようにビルが建ったとは知りませんでした。都電の車両も、7500が消え、そして7000も余命いくばくもない、となれば、また一つ昭和の面影が消えて行くことに…。
…「お犬様」のコメントがまだ出ていないようですが、「市川真間」の記事でも書き込んでいたTVの人形劇「新八犬伝」、主人公の犬塚信乃について、劇中では「武蔵国豊島郡大塚に住んでいたのが、里見氏が合戦で負けて南房総に流され、苗字も『犬塚』と変えさせられた」という話になっていたのを覚えています。
戦前は池袋はただの野ッパラで、街として賑やかだったのは大塚、巣鴨だったそうです。
返信削除大塚の南口を少し巣鴨寄りに入ると、昔の三業地の面影を残す料亭なんかも残っています。
Cedarさん
返信削除まさに昭和な結婚式場でしたね。
現在駅から見える写真だけの結婚式・ホワイトチャペルというのが角萬の成れの果てらしいですね。
伊豆之国さん
返信削除例のコマーシャルは当時を知っている人には耳に焼きついているようですね。
都電も世代交代が進んで、吊り掛け電車の音を聞けるのもそんなに長くないのでしょうか?
モハメイドペーパーさん
返信削除大塚南口にはそのような場所が残っているとは知りませんでした。
これはまた行かないといけません(笑)。
93年の写真で駅舎の左側にパン屋が写っていますが、ここは昭和40年代末まで立ち飲みの焼鳥屋でした。おそらく、戦後のどさくさの末に残ったのではないかと思います。親爺に連れられて5歳ぐらいで行っており、勘定は空いたコップ酒に突っ込まれた焼鳥の串の数で払うシステム。つまり、均一料金なのでした。
返信削除低Nさん
返信削除パン屋さんのところが焼き鳥屋さんであったとは知りませんでした。
中央線の荻窪駅の脇にも同じようなお店があったのを思い出しました。
勘定システムも単純明解でこういうの好きです〜。