2014年11月6日木曜日

野上電鉄 日方駅

前回は初めての野上電車の訪問記でしたが、その後も何度か野上電車は訪問しました。
訪問を重ねるにつれ当初はおおらかであった野上電車の置かれている状況は次第に窮地に追い込まれ、1994年に野垂れ死に状態で廃止になるまで電車関係者の雰囲気はどんどん悪化の一途を辿っていってしまいました。

野上電鉄日方駅は、国鉄海南駅とは線路を挟んで裏手にあります。
これは歴史的な経緯があり、元は和歌山からの路面電車の終点とこの日方駅が最寄の接続になっており、国鉄の方が後発のために起こった位置関係です。

日方駅と車庫の風景を何度か訪問した時の写真からまとめてみました。

モハ13 92.10.16 日方


 89.1.21 日方


日方駅舎正面です。
背景の山の映り込みの有無で雰囲気がずいぶん違うものですね。

野上電鉄本社 89.1.21 日方

駅舎の真向かいにある野上電鉄本社。
年季の入った本社社屋でした。

 89.1.21 日方

ホーム側からの駅舎全景です。
かなりこちらも老朽化していました。

92.10.16 日方

その後、ちょっとだけ補修したみたいです。

90.8.3 日方

駅舎から見た国鉄海南駅方向。
右手奥が国鉄海南駅です。


89.1.21 日方

連絡口に停車中のモハ13。
これからのそのそと終点日方にやってきます。

89.1.21 日方

駅舎を車庫側からもう少し引いてみて見てみました。
右手の建物が検修を行う車庫です。


モハ27 90.8.3 日方

こちらが車庫です。
 よく見るとモハ27の後ろに元南海>水間電車が・・・。
この頃は既に雰囲気がおかしくなっていた頃で、車庫の中に入ろうとすると、
『車庫の中には入るな!奥の電車は撮っちゃいけない!』
と怒られました。
確かに、買ったものの重くて走れないなんてことが後で分かるという事態は普通は考えられないお粗末な話でしたから、記録はされたくなかったのでしょうが。


93.6.27 日方

連絡口駅のホームから見た日方構内です。

93.6.27 日方

上記写真の角度を少し変えたカットです。
この写真は廃止を半年後に控えた末期の姿です。
写真左手の電柱には『構内に入っての写真撮影禁止』の看板が掲げられており、最初に訪問した時の雰囲気とは一変していました。


クハ102 89.1.21 日方

朝日を浴びたクハ102。
電車がまだ綺麗だった最後の頃です。


6 件のコメント:

  1. 社員さんの横柄過ぎる態度がその鉄道会社の経営状態や、待遇面の悪さを象徴させていますね。
    あのモハ24を使った明治アーモンドチョコレートのCMが、この鉄道の最後の集客の為の努力だっだのでしょうね。

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  2. 宵闇さん
    最後は色々なことがあったみたいですね。
    自分は廃止半年前に行った後は余り嫌な光景は見たくなかったので行きませんでした。

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  3. こんばんわ。

    1度だけ訪問したその時は、まだゆっくり写真
    が撮れる状況でしたが、一体なんであんな状況
    になってしまったのか、色々噂を聞きましたが、
    残念ですね。
    ただ、そんな状況でも、保存車が何両かあって、
    一部は阪神に戻ったのは、不幸中の幸いだった
    と思っています。

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  4. nnishi1968さん
    こんばんは。
    私自身もよく噂されるような険悪な状況に遭遇したことはありませんでしたが、随分なことがあったみたいですね。
    良い風景と良い電車が生き残っていた分心が痛みます。

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  5. 日方駅の素晴らしい光景は絵になりますね。
    私が訪問した1965年頃は駅舎の入り口に訳のわからない大きな変な絵が掲げられていました。
    その頃、阪神から来た小型車が続々勢ぞろいし、それはそれは見事でした。
    あの時の暗いカラーもその後のツートンカラーも地方私鉄らしくていいですね。
    すべてが絵になる鉄道だったと思います。

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  6. katsuさん
    野上電車は駅も電車も絵になる鉄道でしたね。
    以前の緑とグレーを混ぜたような塗装は薄暗い変な色合いと思いました。
    晩年の塗装はその点馴染み易かったですね。

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