2014年7月15日火曜日

日立電鉄のモハ1000形電車

日立電鉄のモハ1000形は実にバラエティ豊かでした。
モハ1000形は元小田急のモハ1形(後のデハ1100形)です。

日立電鉄には1960年から1979年の長期間に、直接小田急から、もしくは相模鉄道経由での合計10両が譲渡されました。
1960年に小田急から譲渡された4両は3両がモハ1001~1003に、1両がサハ1501となりました。
その後、相模鉄道に移った同形車が更に3両譲渡されて全部で6+1両の7両の世帯となりました。これらの7両については、車体更新が順次行われて小田急時代の原形とは大きく印象が異なるものになりましたが、デザインは統一されたものではなく、バラエティ豊富な陣容になりました。
その後1978年には相模鉄道からさらに3両が譲渡され、全体でサハを含めると10両の大世帯となりました。

小田急モハ1形は18両の製造でしたので、そのうちの過半数が日立電鉄に集結したことになりました。

他社に嫁いだ小田急デハ1100は・・・
京福福井に行ったデハ1100(⇒こちら)。
熊本へ行ったデハ1100(⇒こちら)。

類似品は・・・
西鉄電車(⇒こちら)。


モハ1001 80.11.16 常北太田



モハ1001 80.11.16 常北太田

こちらはトップナンバーのモハ1001。
最初に譲受を受けたグループで、車体は更新されて小田急時代の面影はありません。
車体色がこの編成だけ(モハ1001+モハ1002+クハ2501 、クハ2501は⇒こちらを参照)だけ、何故か静鉄色風になっています。

モハ1002 80.11.16 常北太田

モハ1001の隣のモハ1000形電車は全く外観の違う、中間電動車になっていたモハ1002。

モハ1003 80.11.16 大甕

こちらはこれまたスタイルの異なるモハ1003。
モハ1001とは似て非なるスタイルをしています。
パンタ側はモハ1001と似たようなお顔をしています。


モハ1004 80.11.16 常北太田

こちらはモハ1004。
モハ1003よりは多少スマートになっています。

モハ1005 80.11.16 常北太田

こちらはモハ1005。
モハ1004の後ろパンタ仕様、といった感じです。

モハ1005 91.11.23 常北太田

こちらは晩年のモハ1005。
正面各部に手が入っています。
サッシがHゴムになるだけで随分と表情が変わるものです。

モハ1006 80.11.16 大甕

こちらはワンマン仕様のモハ1006。
スタイルがこれまでの1001から1005までの車両とは異なっています。

モハ1008 80.11.16 常北太田

こちらは相模鉄道からやってきたモハ1008。

1978年に入線したモハ1007から1009までの3両は相模鉄道時代には荷物電車に改造されていたもので、まさかの旅客車復帰です。
譲渡にあたっては、座席を復旧し、中間の両開の荷物扉を片側閉鎖したのみでそのまま旅客車両として運用されることとなりました。
こちらは車体載せ換えのような更新は受けていなかったため、在来車よりも却って原形の印象をとどめていました。

モハ1009 80.11.16 常北太田

同じくモハ1009。
パンタ側が先頭になっています。

サハ1501 80.11.16 常北太田

同じ出自ながらこちらはサハ化されたサハ1501。


モハ1000形は営団地下鉄からの車両に代替されて、1993年までに全車廃車されました。

2 件のコメント:

  1. 日立電鉄1000形ほどバラエティに富んだ電車も珍しいですね。
    一部はお椀形ベンチレーターになっていた電車もありました。
    1003が銀座線車両に置き換え後、事業用として残る話があったそうです。

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  2. 宵闇さん
    1000形はよくぞここまで・・・と言うくらい各車各様でした。
    思いつき改造と言ってしまえばそれまでですが、趣味者から見たら楽しい存在でしたね。

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