少年時代から大の電車好きです。 物心ついた時には踏切の横に立って電車を見ていました。 以降、全国各地に吊り掛け電車を追いかけて歩いた記録を中心に、模型やストラクチャー探訪記などを気まぐれに載せてゆきたいと思います。
揖斐線急行に投入されなかったら、ここまで有名にならなかった510。やはりこの塗装は良いですね!
Cedarさんそうですね。揖斐急行とこの塗装が人気者になった要因でしょうね。それにしても大正生まれの電車がこの時代まで急行で走っていたのは奇跡的かもしれませんね。
いいですね。今では失ってしまったこれぞ日本の鉄道風景です。自然豊かな風景が残されているところは多く、こんな魅力的な車両さえ居れば素晴らしい鉄道風景を楽しめるのですが。もうどこにもいませんねえ。
鉄道線の旧型車が残っている時代に行きたかったです。83年に行っておりますが、当時は510・520形の3連急行しか狙っていませんでした。
菜の花とレンゲが咲き誇る時期が最高でした。
揖斐線(黒野以東)は、谷汲線と共に15年前の春に乗っています。そのときは、樽見鉄道で終点まで行き、生憎の雨の中、満開の「薄墨桜」を見物。それから谷汲口まで引き返し、待っていたバスに乗り換えて西国33ヶ所の最後の札所・谷汲山に詣で、名鉄谷汲駅から750型に、黒野で待ち受けていたのは最新鋭だった770(?)型。ホームとの間の隙間が大きいのでステップを出していたのが印象に残っています。揖斐線の末端側と谷汲線は、その頃既に余命いくばくもない、と言う状況であったようですが、ピカピカの新車が投入されていた黒野以東が岐阜市内線・美濃町線と共に、先の2線の廃止からわずか4年後に早くも過去帳入りしてしまうとは思いもよりませんでした。既にその当時、名鉄はJRの攻勢の前に豊橋~名古屋~岐阜のメインルートで劣勢を強いられ、行政の「意地悪」もあって、もはやローカル線の維持に金をかけることはできない状況に追い込まれていたのでしょう。余談ですが、珍名&難読駅「尻毛」駅のホームの駅名表示板には、肛門科医院の広告が出ていて、まさにぴったりはまった「珍風景」が見られたそうです。
katsuさん揖斐線沿線は絵になる風景がまだ残っていましたね。でもよもや鉄路自身がなくなってしまうとは当時は思いもしませんでした。
つのすけさん510形以外にも700形などの朝の3連はそれなりに見応えがありました。3両いっぱいに乗った乗客が忠節でどうなっちゃうのかと心配になって見ていたことが思い出されます。
春岡電鉄さん菜の花、蓮華、日本らしい風景が展開する季節ですね。
伊豆之国さん名鉄としては揖斐線はまだ頑張ろうとして新製電車を投入したりしていたのでしょうね。官のいじめがこの路線の命脈を絶ったとしか思えません。
510形をさらに有名にしたのは、エバーグリーン賞受賞とスカーレット一色からツートンカラーに復元したことでしょう。末期は半ばイベント専用車のようになり、動く日は沿線に多くの撮り鉄が出現しました。最初の揖斐線訪問で510・520形に乗車して以降は長くご無沙汰し、鉄道線の旧型車に乗ったのは黒野以遠と谷汲線の750形だけだったのが今でも心残りです。来年春で路線廃止から10年ですね。
元・いきもの部長さん510形のエバーグリーン賞受賞は一つの転機だったのかもしれませんね。510形は乗ってみると意外とソフトな乗り心地で転換クロスシートに座っての小旅行は楽しいものでした。廃止から10年ですか・・・。早いものです。
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揖斐線急行に投入されなかったら、ここまで有名にならなかった510。やはりこの塗装は良いですね!
返信削除Cedarさん
返信削除そうですね。
揖斐急行とこの塗装が人気者になった要因でしょうね。
それにしても大正生まれの電車がこの時代まで急行で走っていたのは奇跡的かもしれませんね。
いいですね。
返信削除今では失ってしまったこれぞ日本の鉄道風景です。
自然豊かな風景が残されているところは多く、こんな魅力的な車両さえ居れば素晴らしい鉄道風景を楽しめるのですが。
もうどこにもいませんねえ。
鉄道線の旧型車が残っている時代に行きたかったです。
返信削除83年に行っておりますが、当時は510・520形の3連急行しか狙っていませんでした。
菜の花とレンゲが咲き誇る時期が最高でした。
返信削除揖斐線(黒野以東)は、谷汲線と共に15年前の春に乗っています。そのときは、樽見鉄道で終点まで行き、生憎の雨の中、満開の「薄墨桜」を見物。それから谷汲口まで引き返し、待っていたバスに乗り換えて西国33ヶ所の最後の札所・谷汲山に詣で、名鉄谷汲駅から750型に、黒野で待ち受けていたのは最新鋭だった770(?)型。ホームとの間の隙間が大きいのでステップを出していたのが印象に残っています。
返信削除揖斐線の末端側と谷汲線は、その頃既に余命いくばくもない、と言う状況であったようですが、ピカピカの新車が投入されていた黒野以東が岐阜市内線・美濃町線と共に、先の2線の廃止からわずか4年後に早くも過去帳入りしてしまうとは思いもよりませんでした。既にその当時、名鉄はJRの攻勢の前に豊橋~名古屋~岐阜のメインルートで劣勢を強いられ、行政の「意地悪」もあって、もはやローカル線の維持に金をかけることはできない状況に追い込まれていたのでしょう。
余談ですが、珍名&難読駅「尻毛」駅のホームの駅名表示板には、肛門科医院の広告が出ていて、まさにぴったりはまった「珍風景」が見られたそうです。
katsuさん
返信削除揖斐線沿線は絵になる風景がまだ残っていましたね。
でもよもや鉄路自身がなくなってしまうとは当時は思いもしませんでした。
つのすけさん
返信削除510形以外にも700形などの朝の3連はそれなりに見応えがありました。
3両いっぱいに乗った乗客が忠節でどうなっちゃうのかと心配になって見ていたことが思い出されます。
春岡電鉄さん
返信削除菜の花、蓮華、日本らしい風景が展開する季節ですね。
伊豆之国さん
返信削除名鉄としては揖斐線はまだ頑張ろうとして新製電車を投入したりしていたのでしょうね。
官のいじめがこの路線の命脈を絶ったとしか思えません。
510形をさらに有名にしたのは、エバーグリーン賞受賞とスカーレット一色からツートンカラーに復元したことでしょう。
返信削除末期は半ばイベント専用車のようになり、動く日は沿線に多くの撮り鉄が出現しました。
最初の揖斐線訪問で510・520形に乗車して以降は長くご無沙汰し、鉄道線の旧型車に乗ったのは黒野以遠と谷汲線の750形だけだったのが今でも心残りです。
来年春で路線廃止から10年ですね。
元・いきもの部長さん
返信削除510形のエバーグリーン賞受賞は一つの転機だったのかもしれませんね。
510形は乗ってみると意外とソフトな乗り心地で転換クロスシートに座っての小旅行は楽しいものでした。
廃止から10年ですか・・・。
早いものです。