今はグリーンムーバをはじめ、新鋭車が大活躍ですが、以前は改造車で賄っていました。
出身は大阪だったり、九州だったり様々でしたが、淡いピンク系の直通車塗装を纏って活躍していました。
2503(左)、2004(右) 80.8.26 荒手車庫 |
路面電車はあまり詳しくないのですが、どうも2000形は連結タイプ、2500形は連接タイプという分け方のようです。
2003 91.5.2 広島駅前 |
同じ2000形ながら10年経った時点では、上の姿とはずいぶん異なっています。
2512 79.3.18 広島駅前 |
クラシカルなスタイルが印象的でした。
ダブルのパンタグラフも魅力的です。
2506 77.7.16 広島駅前 |
3003 91.5.2 広島駅前 |
筆記体の方向幕が泣かせます。
大阪市電改造車は流石に渋いですね。
返信削除これが宮島線を高床車とスレ違いながらかっ飛ばす所を拝みたかったものでした。
ちなみに宮島線の高床車を千田へ回送する時2001号と連結したそうですよ。
やっぱり広島電鉄は奥が深いですね。
これらが高床車と入り乱れてた頃がいちばん面白かったですね。ごちゃごちゃしたパンタグラフ回りがピンクに塗られているのが印象的でした。
返信削除歩道に井戸のポンプが立ってるところだ(笑)
返信削除喫茶店パール、まだやってるのかな?
宵闇さん
返信削除大阪市電改造連接車は渋いですね。
この時何故かこの1カットしか撮っていません。
勿体無いことをしました。
Cedarさん
返信削除そうですね。
この頃の広電は各種電車が入り乱れて活躍していて楽しかったですね。
当時はこれが当然と思っていてあまり一生懸命追いかけ無かったのが悔やまれます。
赤影さん
返信削除流石、目の付け所が違いますね。
この辺りは駅の近くの割りに独特の風情がありましたね。
今はどうなっているのでしょう?
管理人様、皆様、初めまして。
返信削除広島在住の“まろねふ”と申します。
いつも楽しく、そして興味深く拝見させて頂いておりましたが、広電の話題でしたので初めて書き込みをさせて頂きます。
広島駅前の状況ですが、現在は再開発が進み風景がかなり変わっております。
この再開発により歩道の手押しポンプ(被爆ポンプらしいのですが…)は撤去され、喫茶店パールも無くなりました。
画像の2000形ですが、既に引退し2004-5号が休車のまま荒手車庫に留置されたまま以外は廃車解体となりました。
広電の全般検査は全て千田車庫で行うので、高床車も入場しておりましたが、運転台のない側が先頭となる時は、2001号が活躍しておりました。晩年の2001号には、貫通制動機の引き通し管が設けられておりました。
今の時代でしたら問題になっていたでしょうが、白昼堂々と高床車が軌道線を走る事がありました。
広電も、軌道線は新型低床車両が導入され、旧型車両が淘汰されつつあります。
先日も、旧大阪市電の2両が廃車解体され、2両が休車となりました。
吊り掛け電車は、ここでも数を減らしてきております。
長文失礼いたしました。
2000は元々単車だったものを70年代に2両固定改造にしたものです。2500は2車体連接車でしたが、80年代半ばに3連接改造されて3100になってしまい、相手のない2506は廃車されてしまいました。
返信削除2001でも改造種車に使ったらといいたいところですが、すでに牽引車だったですし。
2510は大阪市1601の改造ですから、早々に消えたようです。なにしろ阪堺120と同じ車体ですから。阪堺は平成になっても使ってましたが。
それにしても、90年台に入って、筆で書いたような方向幕をまだ使っていたとは、1900が入ったころからゴシックに変わってきてますから。
と、中の人のまろねふさんを向こうに書いてますけれど。
なにわさんの書かれている筆字方向幕ですが、94年に開催されたアジア競技大会をきっかけのアルファベット表記の入った方向幕に交換されたはずです。
返信削除あの頃は、幕の字が小さくなったと、お客さまからの苦情を頂いた記憶があります…
maronefuさん
返信削除はじめまして。
広島駅前も随分変わってきているのですね。
数年前に行った時に電停の場所自体が変わっていてびっくりしたのを覚えています。
鉄道線の回送の件、良き時代の光景だったのでしょうね。
低床車両が増えるのは時代の流れだから仕方ないんでしょうがちょっとさびしいです。
筆字方向幕の件もなるほどでした。
ありがとうございました。
なにわさん
返信削除大阪市電改造車は味があって好きでした。
特に2510はいい感じですね。
阪堺電車と同じ車体もこのようにいじられると随分印象が変わるものです。