2013年10月19日土曜日

福井鉄道200形、再訪

福井鉄道には昨年の春、200形がいよいよ怪しくなるとの話を聞いて訪問しておりますが(こちら⇒2012年春、北陸電車巡り)、その時に検査中で撮り逃している車両がありました。
それは、よりにもよって一番見たかった、懐かしい復刻カラーを纏った203編成でした。
1980年当時の203編成の写真はこちら(⇒北陸電車巡り・・福井鉄道路面区間)。

同編成の命脈が尽きてしまう前にもう一度行きたいと思っていましたが、目的の車両が動くのは基本平日ラッシュ時間帯のみなので、距離も含めてハードルが高く、なかなか再訪の機会が見つからないまま1年半近く経ってしまいました。
既に代替の低床車両も竣功の報せに、猶予は無くなりつつありました。

モハ203-1 13.10.15 福井駅前

年に何度も遠方に出かけるのは各方面からの理解が得にくいのは皆さん周知の通り、私にも当て嵌まります。
今回の藤枝市郷土博物館の展示の撤収(こちら⇒け~べんノスタルジー撤収のレポート)が連休最終日の夕刻ということで、一挙両得を狙って・・思い切ってその足で福井に向かうことにしました。
連休明けに休み取るのもこれまたハードルが高いのですが、なんとか根回しして取得、藤枝から一路東海道線を下りました。
こんな日に休みを取るなんてバチが当たったのか、台風さんも接近の予報、連接電車が活躍する朝の二時間一発勝負に出ました。

新型の低床車・FUKURAM(ふくらむ)・・・これは、「FUKUI(福井)」と「TRAM(トラム)」を組み合わせた造語であり、街や夢が膨らむとの意味が込められているのだそうです・・・
が既に先週の7日に営業運転に就役、200形はそれに合わせて検査切れの一本が戦線離脱との話も前日の藤枝で同行のメンバーから耳に入り、心穏やかではありません。

いつも楽しく拝見している『しゅうちゃん』のブログでも9月時点での福井鉄道200形の最新動向のレポート(こちら⇒しゅうちゃんのお出かけ日記)、(こちら、いつも参考にさせていただいています)と自分の過去の経験から、福井市内には朝7時代後半から到着する3本の列車に連続投入されるはずです。

F1001-3 13.10.15 市役所前

既に置き換えられた一本目は、停留所のFUKURAM運行案内通りに新鋭の低床車がやって来ました。
ふくらむ・・・本当に左右に膨らんでいます・・・。
名鉄電車と比べるとその膨らみっぷりが良く解ります。
今後の増備でふくらむ同士がすれ違うとぶつかっちゃうんじゃないか???
余計な心配・・です。

モハ202-2 13.10.15 市役所前

次こそ目的の車両か?
とドキドキしながら待つものの、定刻を5分以上過ぎても来ません。
やっと遅れて顔を出したのは、嗚呼~・・・・新塗色の200形202編成。
この車両に新塗色は似合いません・・・。
今回も復刻カラーはダメかもな予感・・・。
右手のバスと並ぶと、200形の大きさが良く解ります。

モハ203-2 13.10.15 市役所前

これはまたダメかと思った三本目で漸く目的の車両がやって来ました。
これで、無理して来た甲斐があったというものです。

モハ203-1 13.10.15 市役所前

振り向いて停車中の200形を撮りました。
多くの乗客がここで下車します。

モハ203-1 13.10.15 仁愛女子高校

田原町からの折り返し電車は隣の仁愛女子高校付近に移動して撮りました。
凸凹した石畳の軌道敷が雰囲気を盛り上げます。

モハ203-2 13.10.15 仁愛女子高校ー市役所前

こちらは、仁愛女子高校から市役所方向を向いてのカットです。
この折り返し列車で武生に行ってお昼寝でしょうから、走行写真はこれでお仕舞いだなあ・・と思いながら撮りました。
・・・が・・・。
サプライズ発生!

モハ203-1 13.10.15 福井駅前

ホテルに戻ってチェックアウトしてえちぜん鉄道を冷やかしてから、お昼寝の203編成を撮り納めをするために武生へ向かおうと福井駅前に行ったら、なんとさっきの電車がやってくるではあ~りませんか!!
これはラッキー。
理由はわかりませんが、この日は一日中運用に入っていたようです。

モハ203-1 13.10.15 福井駅前
ちょうど乗車しようとした列車に今回目的の電車がやって来るのは正にラッキー。
折角なのでパチパチしまくりました。
そして、このバリアフリーの対極をゆくこのステップに乗って車内へ。

モハ203-1 13.10.15 福井駅前
車内もいろいろ撮りました。
こちらは運転台。
マスコンが斜めについているのですね。
今回まで知りませんでした。

モハ203-1からモハ203-2を望む
 13.10.15 福井駅前
こちらは連接部分。
独特の構造です。

モハ203-1 13.10.15 木田四ツ辻
大型電車がユラユラしながら走るさまを車内から堪能します。

F1001-1(左)、モハ203-1(右)
 13.10.15 北府
北府(きたご)で下車。
これまた偶然最新鋭のふくらむ君とご対面です。
最新鋭と最古参のご対面。
そんなにもう長くはないシーンです。

モハ203-1 13.10.15 北府
編成もちゃんと撮れました。

モハ201-1 13.10.15 越前武生
その後車庫を見学後、越前武生構内でお休み中の201編成を見ました。
話によると、既に検査切れ、今回一番最初に戦線離脱した模様です。

涙雨の中の200形離合、203編成から。
モハ202-1  13.10.15 神明
時間軸が前後しますが、途中の神明ではこれまた通常は昼寝のはずのもうひと編成も動いており、車窓からパチリと撮りました。
既に台風がかなり接近しており、天気予報よりも早く雨足が強まっていましたので、折角運用中ながら沿線で待って撮るような状況でもありませんでした。
名残惜しかったですが、ダイヤも若干乱れ始めていたので台風に急き立てられるように止むなく福井を後に帰路につきました。

恐らくもう二度と200形の姿は見れないんだろうな・・・、と思いながら203編成の去りゆく姿を見えなくなるまで眺めていました。
また楽しみが一つ減ったようでちょっと寂しい気持ちになりながら、窓にたたきつける雨を眺めながら東海道を東上したのでした。


12 件のコメント:

  1. 車掌さんが乗る方が好きなmaru-ha2013年10月19日 13:54

    撮りと乗りが両方できたのは何よりですね。福鉄200もラストですか。。。
    沿線の方にとっては低床できれいな電車の方が人気ですよね。どんどん低床が進んで、広電宮島線みたいに、地方鉄道から軌道線に代わっていくのかな。。

    さて、写真見て気になったのですが、200もワンマンですか?車掌やアテンダントさんは全く乗務してませんでした?福鉄の車内券はバリエーションがあって、集めがいがあったのですが。こっちも風前のともしびかな。。

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  2. 日本最後のインタアーバンもついに単なるLRTになっちゃうんですね。200形1編成動態保存して欲しいけど、そんな金は無さそうで・・・。

    203ー1と2は水切りの有り無しで、違う顔だと初めて知りました。

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  3. 車掌さんが乗る方が好きなmaru-ha殿
    乗る方は諦めていたので、ラッキーでした。
    すっかり忘れていましたが、JRで30分を切る福武間を福井は二倍の1時間かかるのですね。
    ウトウトしてしまいました。
    因みに200形もワンマン運転で走っていましたよ。
    なので車補はありません。

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  4. Cedarさん
    福井鉄道もついにLRT化目前ですね。
    あの大きな電車が路面をユサユサゴロゴロ走るのも良いところあと二年以内で終わっちゃうのでしょうね。
    貴重な連接の初期高性能車、残ってくれると良いのですが。
    200形は後年になってパンタのある側だけ水切りが追加されて表情が変わりましたね。
    結構パンタの汚れが垂れるのでしょうね。

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  5. やっぱり福井鉄道200形はこの塗装が一番
    ですね。
    36年前の200形の写真を拙ブログにUPいたし
    ましたので、ご笑覧ください。

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  6. つのすけさん
    オリジナルの塗装はやはり車体デザインに合わせて考えられている分、よく似合ってます。
    これは、大抵の場合当て嵌る気がします。

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  7. 敦賀までのフリーきっぷで足を伸ばして475や485のついでで2008~09年に集中的に撮ってました。
    2010年3月に485は1往復に、475は大聖寺以南は朝夜2往復だけになって、福井に降り立つこともソースカツ丼を食すことも激減しましたが、越前花堂で475系6連を撮って、西へ移動したらちょうど203がやって来ました。それが最後です。

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  8. 元・いきもの部長2013年10月20日 23:42

    台風の迫る雨の中、お疲れさまでした。
    それでも、日中も運用に入っていたとは何とラッキーなことでしょう。
    余命僅かとなった200形、LRT化で鉄道区間のホームを低くした時点で命運は決まっていたとはいえ、残念ですね。
    やはりオリジナル塗装がいちばん似合いますが、よく見るとオリジナルとは微妙に違っていて、パンタ側は水切りに合わせて塗り分けられ、非パンタ側もヘッドライト下が一直線になっています。
    それから、客用扉がプレスドアに変わっています。
    登場時はフラットなドアで、Cedarさんやつのすけさんの写真を見ると昭和52年まで続いていたようです。
    一方、chitetsuさんの写真では昭和55年にはプレスドアになっています。
    富山港線の73系とは逆のパターンで、どういう経緯でこうなったか気になります。

    私事になりますが、LRT化の前後に何度か福井鉄道を訪ねました。
    当時200形は広告電車になっていて、そのうちの1本には北陸出身のヒーロー松井秀喜選手の姿がありました。
    広告電車から外れたのは、LRT化後は終日運用がなくなったからでしょう。
    余談になりますが、当時は足羽川に架かる幸橋が架け替え工事中で、電車は仮設の専用橋を渡っていました。
    橋詰には、誤って車が進入することを防ぐためか、線路と直角に遮断機が設けられていました。
    そうです、電車が通る時だけ遮断機が上がるという、珍しい光景が見られたのでした。

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  9. なにわさん
    475も485もこの辺りでは既に見れなくなってしまいましたね。
    今回の訪問でループ線を見ながら以前ここで撮ったな、なんて車窓を眺めていました。

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  10. 元・いきもの部長さん
    プレスドアの件、知りませんでした。
    何か違和感があるとは思いつつも、最初からプレスドアだったのかと思っていました。
    普通と順番が逆ですね。
    何故なのでしょう?

    幸橋の話、面白いですね。
    自動で遮断機が上下していたのでしょうか?
    ちょっと不思議な光景で、見てみたかったものです。

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  11. ・プレスドアの件
    腐食が激しく何処からか中古のドアを手に入れ交換したためです。
    ・水切りの件
    パンタの汁(と呼んでました)による汚れが激しいため202に試験的に取り付けられました。
    結果が良いので(ま、当然ですが)たしか冷房改造時に201、203にもとりつけたと思います。
    個人的にはデザインが崩れるので反対でした(笑)
    ・ヘッドライト下の塗り分け
    私が塗装に関わったときはオリジナル通りにマスキングしてましたが面倒くさいので直線にしたのでしょう。
    ・マスコン
    新製時は真っすぐに付いていましたが改造して斜めに取り付けられています。
    私が運転した頃には既に斜めでした。運転台は狭いので膝の当たりを避けるためだと思います。
    ・幸橋の遮断機
    原則的にトロコンで動作させていましたが、不動作に備え運転士はリモコンを携帯してました。
    (余談ですがリモコンを使っても上がらず、やむを得ずそのまま進行し折った経験があります)

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  12. 匿名さん
    現場のお話、ありがとうございます。
    いろいろな経緯があったのはなんとなくわかっても、現場のお話でなるほどと思うことは多いです。

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