2013年4月20日土曜日

総武流山電鉄、プチハイク

津田沼にクモハ40を見に行った時(こちら⇒幕張電車区のクモハ40)に、折角なので普段は全く縁のない新京成電鉄の完乗を試みました。
松戸に到着してもまだまだ時間があったので、これまた折角なので総武流山電鉄に行ってみました。

EF8061 81.8.25 馬橋

馬橋に到着したらいきなりこんな列車がやってきました。
常磐線の普通列車です。
当時一日3往復程度残っていたはずで、何回か松戸までお試し乗車をした記憶があります。
友人と止まらないうちに飛び降りるなんていかにものバカくさいこともやったりしました。
当時は当たり前と感じていましたが、日暮里や北千住に止まる普通列車でこんな列車がまだ走っていたというのは今考えると驚きです。

モハ1002 81.8.25 馬橋
クハ52 81.8.25 馬橋

客車列車がシャーと独特の音をたてて走り去った後に、お目当ての電車がゴトゴトとやってきました。
元をただせばどちらも西武の電車ですが、モハは東濃鉄道経由でやってきており、よく見るとパンタグラフの部分が身延線のように低屋根になっています。

モハ1206(左)、モハ1201(右) 81.8.25 流山

この電車で終点流山まで乗りました。
すでに西武の501系の天下になりつつある状況で、在来車で稼働していたのは一編成だけのようでした。
西武の501系は地元の本来の姿の時は魅力的でしたが、どうもここでは好きになれませんでした。
人間なんて、身勝手なものです。

クハ52 81.8.25 鰭ヶ崎ー平和台
モハ1002 81.8.25 鰭ヶ崎ー平和台
クハ52 81.8.25 鰭ヶ崎ー平和台
モハ1205 81.8.25 鰭ヶ崎ー平和台
沿線で緑の残っている鰭ヶ崎で何本か電車を撮りましたが、天候がすぐれないうえにうだるような暑さに、気合が全く入っていません。
これにて退散、何とも投げやりなプチハイクでした。

2 件のコメント:

  1. S56年夏、上野発の旧客は高崎線の1往復と常磐線の3往復(221~226レ)でした。翌年3月の改正で12系になったと記憶してます。常磐線の旧客は朝・昼・夕の3本だったと思いますので、これは223レではないでしょうか?とっても貴重な写真ですね。
    それから流山も懐かしいです。もともと撮る場所に困るところで、あえて撮るとしたら鰭ヶ崎くらいでしたね。

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  2. maru-ha殿
    上野発の客車列車は朝早くか夕方で、昼間走行する列車は確かにこの一本程度になっていたと思います。
    この時は偶然やってきましたが、この後わざわざ上野から松戸か我孫子までお試し乗車をしたことがあります。
    流山はおっしゃるとおり、撮る場所に当時も苦労しました。

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