デハ5030 77.12.28 田園調布 |
編成は5連、現在は8連そして3月からは10連になるわけですから、随分と様子が変わってきたものです。
デハ5050 79.5.11 田園調布 |
一見複々線に見えるこの場所は、東横・目蒲両線の電車が撮れるので、当時良く出かけました。
それにしても、この場所が地下に潜るということはどうにも想像できませんでした。
デハ6004 79.5.11 田園調布 |
こちらは6両編成で、急行にも活躍していました。
正面デザインだけとったら、吊り掛け電車時代と大差のない古めかしいデザインでした。
窓に方向幕が取り付けられるまでは、貫通扉のえらく低いところにサボがついていたのがどうにも間抜けた姿だと感じました。
駅のホーム上家も木造の古めかしいものでした。
東京急行は駅ホーム上家は今に至るまで、古い構造物が多く残っていました。
車両がどんどんステンレス化するのとは対照的でした。
デハ3452 77.12.28 田園調布 |
その中でもデハ3450形は製造時からの50両の仲間すべてが健在で、他の3000系列グリーン車と合わせてこの当時は東横線と新玉川線以外のすべての鉄道線で活躍を続けていました。
写真のデハ3452は数少ない日車製で、尚且つ数少ない正面非貫通のままの原型に近いスタイルを最後まで残した車両でした。
田園調布駅構内の風景も東京の郊外私鉄駅らしい風情を残していました。
デハ3601 79.5.11 田園調布 |
前照灯がシールドビームの細いもので、その部分だけ見るとまるで京急のようでした。
東横線のホームだけが渋谷方に伸びていたので、こんな写真が撮れました。
クハ3774 79.5.11 田園調布 |
デハ3600形と似たデザインですがこちらは前照灯が大きいタイプです。
デハ3473 79.5.11 田園調布 |
幌付きの精悍な表情の車両を見たあとに見ると、ちょっと間抜けですね。
デワ3041 77.12.28 田園調布 |
デワ3041は大東急時代に小田急線から何故かぽつんと移動してきたHB車の残党で、本家小田急線でHB車が引退した後も東急線内を走り回っていたのも皮肉というか不思議な縁です。
田園調布には東横線の上りホームの横浜寄りに荷物専用の側線と荷物扱い用のホームもありました。
chitetsu殿おはようございます。
返信削除犬殺し、いよいよエスカレートですな(爆)!
なつかしい!
ぼくもちゃんと青がえるも6000系も乗っていたのに写真が一枚もないと悲しいものです。
3452は当時、かなり好きな電車でしたが目の肥えた今から見ると(爆)、川車の三角屋根の方がアンバランスなよさを感じますね(笑)。
3600のおでこのシールドビーム、案外好きだったのですが、こちらはいま見てもかわいいです。
あしたはどうやって殺してくれるのかな(爆)?
青イヌ5000殿
返信削除おはようございます。
私も東横線のアオガエル、当たり前過ぎて6000よりも撮っていませんでした。
いつも見る電車ってこんなものかも知れませんね。
デハ3450については私も川車製の多数派の方が好きです。
あの独特な屋根のカーブと弓型イコライザー台車の組み合わせが良いですね。
明日は半殺しのまま放置の予定でしたが、もう少しえぐることにいたしますね(^O^)。
イヌ様との殺し合い(笑)楽しみに拝見しております。
返信削除田園調布駅は貨物ホームや、目蒲線の折り返し線、東横目蒲の渡り線などがあって面白い遠路配置でしたね。
6000系は東急車輛アメリカンスタイルの走りですね=通称「湯たんぽ!」
Cedarさん
返信削除イヌ殿は中々コロッと逝きませんので(^O^)、もっと責めまくろうと思っております。
田園調布駅は駅舎をはじめ駅構内の配線もいかにも郊外私鉄の中堅駅らしい佇まいが良い雰囲気でしたね。
木の跨線橋をあっちこっち動きながら電車を撮ったのが懐かしく思い出されます。
荷物電車もここで目蒲⇔東横線を転線しているところを眺めるのも楽しかったです。
6000系は5200系と合わせて東急の方向性の転機になった車両ですね。
6000系のあのうるさい走り、体験したことないですが、アメリカンな感じしますね。
chitetsuさん、こんばんは。
返信削除東横沿線に住んでいた自分には、
これまた懐かしい写真ばかりです。
当時、渋谷まで120円だったかな?
小学校をズル休みして平日昼間、
多摩川園前まで行き、大好きな3両編成、
乗ったもんです。
ステンレスでは6000系が大好きで、
よく運転台機器を眺めていたました。
6000系のマスコンには握る部分に在る、
黒色の円盤みたいな部分が上にピョンと、
上がっていて、あれを下げてから操作する、
デッドマン装置なんて当時は、
一切判らない年齢でしたけど。
そう言えば6000系も7000系、7200系も、
4+2の6両編成は桜木町方に2両編成でしたけど、
なんでそうだったのか?今でも判りません。
マシュさん
返信削除東横沿線の方は田園調布付近の情景は懐かしい風景かと思います。
ステンレス初期の東急の電車はどれも個性的でしたね。
今の電車、特にカマキリ号はどうも理解ができませんが。
関東の私鉄のマスコンは手前から左回りにノッチを回す国鉄型と、奥から右回りにノッチを回すタイプがあり、西武線の国鉄タイプのマスコンを見慣れた目には、デッドマン機構の付いた
右回りに手前に回すマスコンにどこか高級感を感じました。
chitetsu様はじめまして
返信削除私は田園調布駅東口から徒歩5分位の所にある中学に通っていてこの駅を3年間利用していました。
中学1年(1954年)の或る日、友人と東口から駅に入り東横線の上りホームに行くのに跨線橋を渡っていました。そうすると、多摩川園前駅から初めて見る緑色の電車が坂を上がってきたのです。
2人はびっくりして目を合わせ、走ってホームに駆け下りその電車に飛び乗りました。ピカピカの新車の匂いがし、ドアの下部にはRがついていてびっくりしました。2人の中学生は運転台の後ろにずっと張り付いて渋谷まで行きました。この日は東横線にデハ5000が導入された初日だったのです!
はんぺんさん
返信削除はじめまして。
1954年の青ガエルの思い出、凄いですね。
運用初日にエポックメーキングな電車に偶然出会えるなんて、本当にラッキーな経験ですね。
その頃の新車は今とは全然違ってすごく新鮮に見えたのではないでしょうか?
コメント、ありがとうございました。
デハ5000系は本当に綺麗な車両でした。運転台はまるでスポーツカーのような美しさで真っ白?なプレートに丸いメーターがいくつか配置されていました。
返信削除後にはオープンリールのテープレコーダーによる車内放送が始まり、そのデッキの配置位置もかっこ良かったです。
渋谷のハチ公前広場に展示されているデハ5001が、もし上り線の先頭車両だとしたら私が運転台に張り付いた車両になります。
約60年振りに張り付きに行こうかなぁ~・・・
はんぺんさん
返信削除デビュー当初の青ガエルは新鮮だったでしょうね。
オープンリールのレコーダーの車内放送・・そんなのがあったのですか!
時代を感じますね。
そんな電車をぶった切ってハチ公の前に置いてしまう今のT急に青ガエル作った頃の心意気の爪の垢煎じてやりたいです。