名鉄はこの時期に一回吊り掛け車をかなり整理をしていて、3800系は他に息のかかっている豊橋鉄道と大井川鉄道にも譲渡されています。3800系は戦後の規格型電車なので、使用材料等やはりどこか戦前の電車より劣っているところがあったのでしょう。戦前の電車のうちAL車と呼ばれる系列の大半が最後まで活躍したのとは対照的です。
譲り受けた富山地鉄としては自社発注の規格型電車があったので、保守・運用面では共通項もあったでしょうから、それなりのメリットがあったのではないでしょうか?
名鉄はその後の社会情勢の変化で、皮肉なことに自分が放出3800系と同期生の東急3700系という規格型電車を大量に譲り受けして急場を凌ぐという時期がありました。これは規格型電車だったための共通性がメリットとして生かされての方策でした。
14710形はMT編成で8本16両の大所帯になり、訪問当時も普通電車の主力となって活躍していました。8編成のうちの4編成はクロスシート化されて優等列車にも運用されていました。
車体は名鉄時代に高運転台化されたものや、地鉄に入ってからの種々改造等でバラエテイがありました。
モハ14715 80.3.8 稲荷町 |
一番原型を保ったスタイルの 14710形です。
車体外板は更新されており、ウインドウシルが無くなっています。
モハ14717 80.3.8 稲荷町 |
モハ14718 80.3.8 千垣ー上横江 |
クハ12 80.3.8 稲荷町 |
割合に原型を保っていますが、貫通扉に箱状のものが付いています。恐らくタイフォンでしょう。
クハ18 80.3.8 稲荷町 |
こちらはウインドウシルが残っています。
モハ14716 80.3.9 越中三郷ー越中荏原 |
サボがオフセットされているので印象が異なります。
クハ18 80.3.9 越中荏原ー越中三郷 |
この他にも3連も結構走っていました。
モハ14716 91.2.9 稲荷町 |
14750形同様に前照灯の二灯化や正面貫通扉の埋込み改造等、かなりの手が加わっていました。また、ブレーキもHSC化改造され、それに合わせてでしょう、塗装も高性能車と合わせたグレー系のものに変更されています。
この後、京阪特急に置き換えられるまで活躍していました。
モハ14715 91.2.9 電鉄富山 |
なんとも古風な木製扉なうえに、手前に引く開き戸であったのです。
貫通扉としての手前に引く開き戸は桜木町事件以降緊急時の脱出に問題視されて引き戸がその後の常識になっていましたが、こんなところに生き残っていたのですね。ちょっとびっくりしました。
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