2012年3月15日木曜日

惜別 十和田観光電鉄 (1)

十和田の電車もいよいよ残すところ約二週間となってしまいました。
十和田観光電鉄には大学鉄研の北海道合宿の帰りに南部縦貫鉄道と一緒に訪問しました。
青函連絡船から東北線の客車列車で野辺地へ、南部縦貫のレールバスで機械式気動車のちょっと不思議な走りを体験して七戸に、そこからは十和田観光電鉄のバスで十和田市へと、同時代を経験した方なら結構定番のコースで十和田入りしています。


モハ2405 82.3.14 十和田市


クハ2404 82.3.14 十和田市
電化時に新造した電車がコンビを組んで発車を待っていました。
当時の車庫は今の七百ではなく、終点の十和田市にあり、割合広い構内を持っていました。

この電車の後ろには東京急行3000系が到着して整備を待っており、オリジナルの電車群にはもう余命幾何もないことがわかります。 


モハ1207 82.3.14 十和田市

定山渓鉄道の唯一の生き残り電車です。Hゴム多用の湘南スタイルの電車はなかなかに洗練されていて、下回りも含めて3000系より新しく、置き換える必要があったのでしょうか?


モハ3401 82.3.14 十和田市
 製造当時東北で最もデラックスと言われた電車と良く書物には書かれている、3401号です。
明朗なスタイルで好感が持てます。
この時見た電車で結局廃止を見届けられたのはこの電車だけということになります。


クハ2404 82.3.14 古里ー七百


クハ2404 82.3.14 古里ー七百


クハ1208 82.3.14 柳沢ー大曲


十和田市から電車で古里、そして柳沢と移動、残雪が残る十和田の平野のカメラハイクを楽しみました。



ED402 82.3.14 柳沢ー大曲

貨物列車も元気に走っていました。
あれからちょうど30年、よもや線路が無くなるなんていうことは当時は夢にも思いませんでした。
時代の流れは厳しいものです。

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