2021年1月22日金曜日

川越の丸ノ内線。

 営団丸ノ内線の赤い電車は引退後各地で保存されました。

その一つに川越市内で保存された444号車があります。

14.10.13 川越

いずれ行こうかと思いながらなかなか行かずじまいでいましたが、2014年埼玉でのイベント帰りに立ち寄りました。

場所については保存車サイトでは個人所有ということではっきりと書かれていませんでしたが、大体の場所はわかりましたので、さほど迷わずに行けました。



実車は晩年は中間封じ込めで、顔を拝むことは無かったので新鮮です。


自分が現役時代唯一お顔を拝めたのは中野車庫でのこの1輌だけ。
貫通扉は撤去されていたので、番号もわかりません。
300形にせよ400形にせよ、撤去した扉はどうしていたのでしょうか?
捨てちゃったのか?
でも、譲渡されたこの400形には扉がついているのでやはり保管していたのでしょうか。




随分と色あせていた時期もあったようですが、この時は塗りなおされていました。



前面です。
貫通扉は外されていたこともあってか、車番はありませんでした。


こちら側から見ると、車番は444と読めます。



初期新性能車らしい台車を履いていました。

残念ながら床下機器は全て撤去されての譲渡だったようです。


先日続報が入りました。

昨年末にどうも解体されてしまったようです。

個人所有で維持するのは大変であったのでしょうね。

6 件のコメント:

  1. わけあって川越市内に用事があるので、丸ノ内線の電車のある場所を通りました。
    記事通り整地されて台車だけが保管されてました。
    屋根がないので維持管理も大変だったと思います。

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  2. taiitis さん
    鉄道車両を屋根無しで維持するのは難しいですね。
    残念ですが、こういう末路になるケース多いですね。

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  3. 個人所有の車両が消えていくことはとても残念です。
    復活した前面貫通扉はどうしたのか気になります。
    最初は先頭車の廃車発生品を流用したと思いましたが、片側は車番が見えるので保管していたのかもしれません。

    両運車の300形と400形は70年代の中頃までは貫通扉が残され(さらに自閉しない開き戸で)車両間を移動する時に煩わしかった思い出があり、貫通扉の撤去は納得できました。
    後から知ったことですが、丸ノ内線は開通から十数年は車両間にあるのは渡り板と背の低い保護柵だけで緊急時以外は通行不可、1966年以降に全周幌が設置されて車両間の移動が可能になったそうです。

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  4. 三等急電さん
    貫通扉はおっしゃるようにある程度保管していたのかもしれませんね。
    1966年まで幌が無かったとは知りませんでした。
    てっきり開業当初から幌付きかと思っていました。

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  5. この車輌を購入した方が、当時テレビに出ていたと記憶しています(三越で売った分?)。444という番号について、縁起はどうなのか、ちょろっと話題に出ていたと思いますが、4が3つ重なると縁起がいいとかで、その時には少なくとも番号のついた貫通ドアがありました。
    ただ、両側付いていたのかどうかまでは、カメラアングルがどうかわかりませんので、なんとも言えないですね。
    もしかするとですが、営団(当時)の売却時、撤去されたものの保管されていたドアを復元して売却することとし、今番号の無い方は、発生品を取り付けたのかも。
    番号のあるほうと、無い方のホロ枠、形が少し異なりますね。

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  6. すぎたまさん
    当時何両かまとめた三越で販売した気がします。そのうちの1両でしょうね。
    すぎたまさん予想されるように、手持ち保管分を優先して、足らない分は他の車輌から持ってきたのかもしれませんね。
    幌枠形状の違いは気づきませんでした。

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