先日、諏訪まで出張があった折、行きがけの駄賃で久しぶりの伊那松島に行ってきました。
最後に行ったのは旧型電車が引退した1983年のことですので、37年ぶりということになります。
駅舎も建て替えられ、業務委託駅になっていました。
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77.12.30 |
こちらは1977年の暮れに行った時の伊那松島駅にて。
豊橋ゆき直行列車です。
同じ角度で見ました。
この雰囲気は当時のままですね。
随分と高級になっていますね。
東の211系飯田ゆきと交換します。
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81.7.25 |
こちらは39年前の同じ場所です。
当時は4両編成が主流だったので、ホームいっぱいで余裕がありませんでした。
駅からちょっと高台に行ったところにあるED19形にも再会してきました。
これを見ていたら手持ちのキットを何とかしなければ、という気持ちになってきました。
今でもJR東持ちの運用があるんですね。現在はラッシュでも3連が最長のようで、6連が走っていたなんて夢みたいです。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除今も東日本車が飯田までは行っているようです。お客さんの量とか隔世の感ありますね。
旧国営業列車最終日の前日、ここで駅寝して一夜を過ごしたことが思い出されます。たしか2人ぐらい同業者がいたはずです。飯田線と言えば旧国との組み合わせしか考えらない世代なので今訪れても別線の様ですね。。
返信削除伊那松島って機関区(電車区)がありましたよね。「静ママ」という標記の旧国を撮った記憶が~今の様子見ると記憶違いですかね。
返信削除飯田線に電車区はなく、豊橋、伊那松島とも機関区でした。機関区に電車が配置されている例はほかになかったと思います。
返信削除通りすがりの64さん
返信削除あの当時の記憶しかないので、久しぶりの伊那松島はどこかよそよそしい印象でした。
Cedarさん
返信削除今も電留線はありましたがなんだか奥の方に行った感じで、電車が休むいきいき感ありませんでした。
モハメイドペーパーさん
返信削除電車でスタートした路線なのに機関区だったのは不思議でしたね。