77.7.27 白岡ー久喜 |
1977年の夏休み、EF57が来ると信じて出掛けた東北線の白岡。
結局、目的の機関車は会えずに終わりました。
クモル24051 80.4.3 鶯谷 |
これは、当時は被られた失敗カットとしか思わなかったツーショット。
手前は高崎線電車ですね。
90.9.8 吉田 |
越後線、吉田で新潟色の115系との顔合わせ。
クハ115-141 90.9.8 吉田 |
光線の具合か、角度のせいか正面肩がいかり肩に見えますのは錯覚でしょうか?
クハ115-150 77.12.19 広島運転所 |
こちらはずっと西へ行って広島で見た115系電車。
クハ115の左右に止まっている4本の電車はすべて吊り掛け電車。
そんな時代に戻りたいです。
JREでは115→111、JRWではその逆と改造クハも大目玉車に多く存在していましたね。
返信削除国鉄ならば配転で済ませた案件も、分社後はトレードできない取り決めでもあるのでしょうか?
12号線さん
返信削除分社化後はずいぶん融通聞かなくなっちゃいましたね。
プライドもあるのでしょうが、中央線の201系は国鉄だったらあのタイミングで大阪行きましたよね。
115系は昭和40年代後半に数年間新製が途絶えたこともあって、冷房と非冷房、白熱灯とシールドビーム、ユニットサッシと非ユニットサッシがくっきりと分かれていました。このため、かなり遠方からでも冷房(300番台)と非冷房(0番台)の区別がはっきりとわかりました。また、0番台は車体の傷みが早く昭和50年代中頃の段階で外板の波打ちが目立っていたことでも300番台と区別がつきました。このような事情もあって、300番台のシールドビームとユニットサッシの方を好ましいと思っていました。
返信削除写真の0番台クハ115ですが、形態的には全て100番から200番(正確には214番まで)くらいの範囲の車です。大まかには50番くらいまでの車がベンチレーターが押し込み型6個だけ、雨樋が乗務員扉の後ろで切れていて、乗務員扉には上縁に水切りが付いています。100番くらいまでは雨樋が乗務員扉上まで伸び、水切りが消えました。その後の車がベンチレーターが、先頭に大形の箱型が追加されたもので、写真の車の形態になります。そして215番から228番までの車はタイフォンがシャッター付に変わっています。
吉田で撮影の2枚は越後線・弥彦線電化で転入した車ですが、「前面窓下の通風器が撤去されている」という違いが確認でき、間違いなく、寒地に転属する為に撤去されたものです。この通風器は車体の管理上問題が多かったようで、高崎線で見た車でも、内側をガムテープで塞いでいる車がいました。飯田線の旧型国電が前面の通風器の撤去が徹底していたのも同様の理由です。
この場を借りて、金沢文庫の総合車両製作所の報告をしたいと思います。
しばしばこの場でも京王線と都営新宿線が紹介されていましたが、京王の「新5000系」が間もなく登場します。現在総合車両製作所でトレーラー積み出しの待機をしています。また、都営新宿線新10-300系は今年度は5本投入予定らしいですが、少なくとも4本が登場しています。
少し前に都営浅草線5300型が紹介されていましたが、急に動きが出ました。当初2015年度から新車置き換えの予定が、2017年度に延期されましたが、三田線の方が東急を通した相鉄直通が延期になったために車両投入も延期になり、その分の予算を振り向ける形で、今年度の浅草線新車投入数が1本だけだったのが、一挙に17本投入に変更になりました。5300形は全部で27本なので、おそらく来年度には全て置き換えられてしまいます。
原口さん
返信削除浅草線が一気に置き換えるということですかね。
ちょっとビックリです。